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タイポグラフィ つれづれ艸

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嗚呼! 業界用語

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宝石のルビーと
振り仮名のルビ
ゲラ、ゲラ刷りとガレー船

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書物 Book,
雑誌 Magazine

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宝石のルビー と 振り仮名のルビ

ゲラ、ゲラ刷り と ガレー船

きっかけは一通のメールからでした。

「金属活字とアンチモンの関係を調べています。わたしたちの業界ではふつうはこの鉱物をアンチモニーと呼んでいますが、幕末から明治初期の活字にこの鉱物がどのように導入されたのか、なにか適当な資料はありますか?」

活字の成分配合に関しては、それなりに調べていましたが、質問者は重機械メーカーに勤務する熟年技術者でしたから、迂闊な返答はできません。なによりも、印刷・活字業界がかたくなに、英米系語由来の「ink インク」ではなく、オランダ語系由来の「Inkt」にちなんで「インキ」と称し、同様に英米語由来の「antimony アンチモニー」ではなく、独語系の「Antimon アンチモン」としていることをご存知なことが、すでにこの周辺に相当な知識を有したかたであることが想像されたからでした。

そこでフト思いついたのが、コラムとしてはいささか長くなるものの、このコーナーにゆっくりと記述することでした。同時に、フト思いだしたのは、東京築地活版製造所創業者の平野富二が、小指の先ほどもない小さな活字を創るために平野活版所(のちの東京築地活版製造所)を設立し、ついで巨大な近代造船に挑み、平野造船所(現在の IHI 旧・石川島播磨造船所)を設立した事実です。ちいさな活字と、大きな船や重機械にも、共通する事項は想像以上に多いのです。

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まず活字と鉱物という視点からみると、ふるくは活字の大きさをあらわすために、ダイヤモンド、ルビー、アガトゥagate アガット アゲートとも。瑪瑙 めのう)、エメラルドなど、希少価値のある鉱物 ─── 宝石の名称で呼んでいた時代もありました。そしてアンチモンも、原石では水晶の輝きにも似た、すばらしい光彩を放つ鉱物であり、花火をはじめ、いまでも多方面に用いられています。

宝石のルビー と 振り仮名のルビ

振り仮名のルビこの一見なんの関連も無さそうな「宝石のルビー と 振り仮名のルビ」は、実は密接な関係があります。ここからはできるだけわかりやすく、活字と鉱物学(ふるくは金石学とも)がいかに密接な関連があるのかを調べていきましょう。

この調査に使った電子辞書はいくぶんふるいもので、『広辞苑』は第 4 版がはいっています。また英英辞書として『ロングマン現代アメリカ英語辞典』(米米 ?、『ジーニアス英和辞典』、『ジーニアス和英辞典』、『漢字源』、『全訳古語辞典』などが収録されています。こんなときに電子辞書に頼るのは正直チョット恥ずかしいのですが、15 種におよぶさまざまな辞書に一度で迫れる「複数検索機能」は魅力的です。また、項目のはじめに SJ とあるものは、電子辞書のスーパー・ジャンプ機能(関連用語検索)をもちいたものです。

それと、こんなときにどうしても必要となる書物が、『印刷事典』(印刷朝陽会)とならんで、研究社版『新英和大辞典』です。この英和辞典は 26 万項目、2900 ページほどの大冊ですが、タイポグラフィ用語が豊富に、丁寧に収録されていることが特長です。これだけは最新の第 6 版を重さに泣きながら用いています。なお、引用にあたっては辞書独特の省略が多いため、若干の補足を加えたものがあることをお断りします。

まず、なにはともあれ「活字」そのものを定義しなければ、はなしがすすみません。ところがこの電子辞書のすべての「活字」項目の記述には物足りないものがあります。そこで、アダナ・プレス倶楽部の資料を中心に調べてみます。

金属活字の成分は、鉛を中心として、スズ(錫)とアンチモンの 3 つの金属による合金(3元合金)であることは比較的良く知られています。しかしその成分比率は、ふるくは企業秘密として厳重に秘匿されていました。また、国や企業ごとの成分比率の差異はもちろん、使用目的が、活字を主要な印刷版とする活字版印刷用(原版刷り/直刷り)と、活字組み版から紙型・鉛版を作成し、鉛版を主要な印刷版とする凸版印刷用とでは地金成分比率がおおきく異なります。また、おなじ活字鋳造所でも、サイズや書体ごとに、微妙な成分比の調整をいまなお活字鋳造所(Type foundry)ではおこなっています。

【活字 printing type, type ; Schrift, Type ── アダナ・プレス倶楽部 Website

鉛を主体として、アンチモン Antimon , antimony アンチモニーとも)、スズ(錫)を配合した 3 元合金で、鋳造した金属柱の上面に、左向き(逆向き、鏡文字とも呼びます)の文字・記号を突起させたものです。組み合わせて使うために「可動活字 movable type 」とも呼ばれます。文字活字の合金は、ふつう、流動性にすぐれた鉛が 70-80%、硬度を増すアンチモンが 12-20%、塑性 plasticity 変形しやすい性質・可塑性)にかかわるスズが 1-10% ほどですが、各国・各社それぞれの配合率となっています。こうした活字と、込め物・罫線などを組み合わせて、活版印刷用の印刷版を作ります。ちなみに込め物類の合金比率は、ふつう、鉛 86%、アンチモン 12%、スズ 2% ほどです。

詳細: http://www.robundo.com/adana-press-club/glossary/ka.html#ka_printing-type

【ルビー ruby── 広辞苑
  1. 鋼玉(こうぎょく)の一変種。紅色を帯びた、透明または透明に近い変種。紅玉。

  2. イギリスのふるい活字のおおきさの呼称の一。約 5.5 ポイント。

SJ ルビ】── 広辞苑

振り仮名用活字。また、振り仮名。五号活字の振り仮名として用いられた七号活字がルビー丸2とほぼ同大であるからいう。

【ルビ】── アダナ・プレス倶楽部会報誌第 2 2008

英国の活字の大きさの古称のひとつである「ruby ルビー ≒ 5.5pt.pt. アングロ・アメリカン・ポイント 以下略)」が転じて「振り仮名=ルビ」の名称となりました。

そのわけは、和文の書籍本文組み版の基本の大きさである五号活字(≒ 10.5pt.)の振り仮名として用いられた、五号活字の半分の大きさ(倍角であらわすと五号活字の 1/4 の大きさ)にあたる七号活字(≒ 5.25pt.)が、英国の ruby 活字(≒ 5.5pt.)に近いおおきさであったことから、印刷業界用語として「振り仮名用の活字= ruby  ルビ」となり、さらに転じて、「振り仮名」そのものをも、ひろく一般でも「ルビ」と呼ぶようになりました。ちなみにアメリカでの ruby に相当する活字の大きさは「agate アゲート≒ 5.5pt.」です。

注意深くお読みいただいたかたならお気づきでしょうが、「agate 瑪瑙 めのう」は、ふつう「アガトゥ/アガット」とカタ仮名表記されますが、研究社『新英和大辞典』には、しっかりと「4《米》[活字]アゲート《5.25 アメリカンポイント相当;英国の ruby にあたる》」とカタ仮名表記付で紹介されています。

すなわち「瑪瑙・めのう」を「アガトゥ/アガット」とするのは一般語であり、「アゲート」は米国やカナダの印刷・活字業界用語であることを教えてくれます。同様な例を「ゲラ」にも見ることができます。

ゲラ

ゲラ、ゲラ刷り と ガレー船

さて、意外と知っているようで知られていない、活字の大きさの古称のひとつが転じた「宝石のルビー と 振り仮名のルビ」の関連を解明しました。 もうひとつ「ゲラ、ゲラ刷り と ガレー船」のふしぎな関連についても調べてみましょう。

ファイル:Galley La Reale.jpg

【ゲラ】── 広辞苑

galley の訛り)。

  1. 組み上げた活字版を収める長方形の盤。3 方に縁がある。

  2. ゲラ刷りの略。

【ガレー galley── 広辞苑

古代から近代まで地中海で使用された軍船。両舷に多数の櫂を出して漕ぎ、櫂を 2 段・3 段に配置することもあった。帆を備えた船もある。ガリー。ガレー船。

このように『広辞苑』を見ただけでは「ゲラ と ガレー」に関連性は読み取れません。そこでもう少し辞書あさりを重ねてみました。

galley── 英和

galley / gæli

  1. ガレー船《中世、地中海で軍船・商戦として使われた大型帆船;奴隷や囚人にこがせた》.

  2. 〈古代ギリシア・ローマの〉軍船, 遊覧船.

  3. 〈艦船・飛行機の〉調理室.

  4. 〔印〕ゲラ《組版を入れる盆》;=galley proof.

galley── 英英

galley / gæli

  1. a kitchen on a ship

  2. a long low Greek or Roman ship with sails that was rowed by SLAVEs in past times

  3. a) a TRAY used by printers that holds TYPE

  4. b) also galley proof a sheet of paper on which a PRINTER prints a book so that mistakes can be corrected before it is printed to be sold

大型旅客機に乗りますとキッチンがあります。飛行機の客室乗務員(スチュワーデス)はそこをキッチンとは呼ばずに「ギャリー」と呼び、飲み物や食事を「ゲラ棚」とよく似た「トレー・ケース」を押しながら客席毎に配膳します。おそらく大型客船でも似たような光景が展開し、「ギャリー」「トレー」が活躍していることでしょう。それでも印刷用のゲラやゲラ刷りと、ガレー船の関連はいまいち明解ではありません。そのあたりを研究社版『新英和辞典』は明解に説明し、関連用語紹介とその初出紹介も豊富です。

galley/ gæli /n.── 新英和辞典
  1. (艦船・航空機内の)厨房,まかない所,調理室(kitchen).

  2. 『印刷』 a ゲラ《組版を入れる盆》. b ゲラ刷り,校正刷り.

  3. 《ガレー船》中世に主として地中海で用いられた帆と多数のオールを有する単甲板の大型船;主に奴隷や囚人に漕がせた.

  4. (古代ギリシア・ローマの)オールを主とし帆を副とした軍船.

  5. 喫水の浅い帆船《装備は様々で時には長大なオールで動かすこともできる;18 — 9 世紀にかけて米海軍で用いられた》.

  6. 『英』大型のこぎ舟.

  7. galley proof n. 『印刷』ゲラ刷り, 校正刷り《1892》.

    galley reading n. 『印刷』棒組み校正, ゲラ刷

    galley slave n. 1 ガレー船を漕ぐ奴隷[囚人]. 2 《口語》苦しい仕事をする人(drudge). 《1567

    galley-west adv. 『米口語』すっかりだめだ, めちゃめちゃに;knock galley-west.《1875

ここで明らかになったのは、「ガレー/ガレー/ギャリー」などと呼ばれているものは、本来は古代ギリシア・ローマにおける、オールで漕ぐ軍船であり、中世欧州の奴隷や囚人に漕がせた船のことであり、わざわざ「ガレー船」と船の名称をつけなくても良いということです。

しかし英米語の「galley/ gæli」が「ゲラ」という発音に転ずるのは少し無理があるようです。ガレー船はひろく地中海に展開していたようですから、もしかすると印刷業界用語としての「ゲラ」は、ふるく 1582 年(天正 10 年)、九州のキリシタン大名、大友宗鱗、有馬春信、大村純友らが、神父・ヴァリアーニの企画によりローマに遣わした天正遣欧少年使節団、すなわち伊藤マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノらが、ローマ教皇グレゴリウス 13 世に謁見、同 18 年に帰国した際に獲得してきた技術「活字版印刷術/キリシタン版」とともに、「木製で盆状の浅い船型 = ゲラ」を持ち帰ったという想像はコラムとしては許されるかもしれません。

しかしながら、天正遣欧少年使節団が持ち帰ったとされる、木製印刷機、金属活字などのすべてが消滅しています。いまはそれらの機器をもちいて印刷された「キリシタン版」とされる書物だけがわずかにのこっているだけです。

この印刷機や活字が消滅しても、書物は現存しているという事実は、複製術としての活字版印刷の威力をまざまざと認識させます。と同時に、わたしたちは技術が途絶え、モノが存在しなくなると、ことばも死ぬことを、現代の活字版印刷の周辺に如実にみています。

したがって、「ゲラ」の由来を天正遣欧少年使節団に求めるのにはいささか無理があるようです。すると、幕末長崎伝来かとも想像されますが、ドイツ語でのゲラは「Setzschiff」ですので、ドイツ・オランダ語系から転じたとするのにはより一層無理があるようです。やはり「ゲラ」は英語の galley が訛ったものと想像されます。

ついでながら、米口語の「galley-west すっかりだめだ, めちゃめちゃに;knock galley-west.1875》」です。初出は 19 世紀後半ですから、活字版印刷は当然全盛期でした。カッパン実践者ならほとんど、一度ならずゲラをひっくり返したことがあり、

「嗚呼! 駄目だ! めちゃめちゃになっちゃった」

 と天を仰いだことがあるはずです。 これからはゲラをひっくり返したら こう叫びましょう。

Oh! knock galley-west

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