コラム No.004
インキとインク、ピンセットとトゥイーザ
アダナ・プレス倶楽部のモットーに、 「アマチュア・プリンターやホビー・プリンターに向けて、印刷機はもとより周辺機材も、かつての業務用活版印刷機器におとらない品質で、あたらしい製品をユーザーにご提供する」 という目標があります。その他にも、コンパクトであること、軽量であること、工場でなく家庭に置いても違和感がないこと、産業ではなく工芸や技芸をサポートすることがあり、これらのモットーに向けて最大の努力を傾注しています。
ところでここ 30 年ほど、衰勢覆いがたかった活版印刷ギョーカイでは、中核となるべき活版印刷機メーカーが次々と廃業したり、オフセット印刷機メーカーなどに転じていき、現在では活版印刷機メーカーは一社もありません。いえ、我ながら驚いているのですが、アダナ・プレス倶楽部だけがわが国で唯一の、そしておそらく世界でも唯一の「活版印刷機メーカー」になってしまったのです。ですからこのごろ、この空白の 30 年余の重さ、そしてギョーカイとは何なのだ……、と思うことの多い毎日です。
つまり装置産業、機械産業ともいうべき印刷・出版ギョーカイに、活版印刷機のメーカーという中枢が無くなったために、活版印刷に関連する、インキ、活字、製版、製本、用紙、ローラー、木工、金属加工などの業者が、それぞれなんの脈絡もなくバラバラに存在しているという、情報不在な状態になっています。
活版印刷専業者も、わずかに活動している業者もありますが、総体としてみると随分その事業所数は減少しました。また活版印刷機を残している業者でも、オフセット平版印刷機と併用している業者がほとんどを占めています。ですから「資材屋さん」と呼ばれる印刷関連資材販売店 ── 当然、オフセット印刷機器と関連資材の販売が中心です ── に仕入の依存度を強めています。
それでも活版印刷業者は活字を主な印刷版としますので、活字鋳造所とその販売店への依存度が高いようです。業者はすでに印刷機の設置を終え、活字のストックも相当量を保有しています。また活版印刷機は構造がシンプルで故障も少ないので、機械メーカーが製造をやめてもあまり痛痒を感じていないと思っていました。
ところが……、アダナ・プレス倶楽部の発足アナウンスの直後から、意外なことに(そうです、まったく予想もしなかったのですが)、それこそ全国各地の活版印刷専業者から、様々なご相談や注文が寄せられています。
「ジャッキ(締め具)が壊れちゃってね、なんとか補充したい」
「ジャッキ・ハンドル(レンチ)を紛失して困っている」
「いつの間にかウチでは、速乾性のオフセット・インキを活版印刷にも併用してるけど、遅乾性の本物の活版インキもまだあるのですか ? 」
「地金屋さんがもう 3 年以上も来てくれない。活字屋さんも郵送で送ってくるだけでメツ活字が溜まって困っている。ゴミで出したら怒られるし、引き取ってくれないか ? 」
「バネが強くて先端に滑り止めの刻みのある、活版専用のピンセットが欲しいんだけど、ありますか ? 」
イヤー、正直面食らいました。たしかにモットーとして「印刷機はもとより周辺機材も、かつての業務用活版印刷機器におとらない品質の、あたらしい製品をユーザーにご提供する」と掲げましたが、前提には「アマチュア・プリンターやホビー・プリンターに向けて」としていましたから……。まさか活版印刷専業の皆さまが、こういうことで困惑されているとは知りませんでした。
それからのアダナ・プレス倶楽部のテンヤワンヤは 1 冊の書物になるほどです。例えばギョーカイの物知りの老人に教えていただいた業者をたずねると、すでに地上げされて更地になっていたり、また「年金で十分だ。もう仕事はしたくない」と、けんもほろろに追い払われ、それでも再度電話を差しあげると、「アダナ・プレス倶楽部ですが…… 」と名乗っただけでガチャンと切られてしまったりと、笑うに嗤えない、泣くに泣けない話しがたくさんあります。
いまはただの苦労譚のようになりますから、ここでの詳述はやめておきますが、ただただ痛感したのは、自ら蛸壺にもぐり込んで情報を遮断し、無気力になっているギョーカイの人たちが、「活版はもうダメだ」とあきらめてしまって、自ら活版印刷を殺してしまっているということでした。その反面で、わたくしたちの訪問を喜んで迎えてくださり、「子供も巣立ったし、年金も多少出るようになったから、自分の体の動くかぎり、これからの人生は後世や社会のために活かしたい」といってくださる熟練の技術者や、一緒に「活版印刷再生のために努力したい」といってくださる頼もしい若い経営者もまだまだギョーカイにはいたのです。
こうして「バネが強く、先端に刻みのある、活版専用のピンセット」は偶然の幸運に助けられ、また「本物の凸版・活版印刷用インキ」は「侠気あるインキ業者」のご協力を得て、当分アダナ・プレス倶楽部ユーザーの皆さまに供給できる態勢になりました。
活版印刷用語集より
【印刷インキ printing ink ; Druckfarbe 】
ink は印刷業界ではふつう「インキ」と発音・表記されています。それはオランダ語の「 inkt 」に由来するとされます。印刷インキは、印刷の版式、印刷機の形式、被印刷素材の種類によって、とても多くの種類があります。インキのタック(粘りつき)・流動性・乾燥性がそれぞれ異なりますが、おもに顔料と、流転性と、固着させる役目をする液成分の「ビヒクル vehicle 」を練り合わせたものに、必要に応じて補助剤を加えたものです。タックが強く、遅乾燥性の「凸版インキ・活版インキ letterpress ink, typographic ink ; Buchdruckfarbe, Hochdruckfarbe 」もその一種です。こうした活版インキにも「枚葉凸版インキ・凸版輪転インキ」など異なった組成のものがあります。これに対して平版インキ(通常はオフセット・インキと呼びます)は、湿し水を用いることと、印刷されたインキの膜圧が凸版印刷・凹版印刷と較べて薄いことから、湿し水とあまり乳化せず、着色力が大きいといった性質があります。また凹版インキは、彫刻凹版の印刷に用いるインキで、版の刻線によく入り、刻線以外の個所に付着したインキが拭き取りやすくなっています。したがって粘着性は少なく、適度な硬さがあることが特徴です。
【ピンセット tweezers ; Pinzette 】
組み版用の「ピンセット」は、活字を差し替える際や結束の際に用います。しばしば文選に際して用いる道具と間違われることがありますが、意外に軟らかな材質の活字の字面に傷をつけないように、文選の工程は手指でおこないます。同様に、ステッキ上で活字を組む際も手指でおこない、ピンセットは赤字の訂正など、差し替え作業でおもに用います。
インキとピンセット、このふたつは、おそらく鎖国下のわが国に、長崎・出島のオランダ人によってもたらされたとみられ、ドイツ語、オランダ語系のことばです。現代では、印刷ギョーカイ以外ではふつう「インク」と発音しますし、デザイン・ギョーカイでは、ピンセットに代えて「トゥイーザ」という英語式発音のほうが主流になっています。
ペンに付ける「インク」伝来の時代は不明ですが、「油性インキ」は、オランダのフランドル派が積極的に改良した油絵の具にも用いられていました。印刷インキに限れば、「早業活版師」の異名をもったオランダ人/ゲー・インデマウル( G. Indermaur )が「ヤーパン号(咸臨丸)」に乗船して、1857 年(安政 4 )第二次海軍伝習方の一員として来日しています。タイポグラファであった彼の使命は、最新の印刷機と活字を舶載して、オランダ直営の印刷工場を長崎・出島に開設することでした。
インデマウルはまた、長崎奉行所の「活字版摺立所」にあった本木昌造らに招かれて、活版印刷の技術伝習をはかっています。意欲的な本木昌造らは早速、オランダ語辞典『クンスト・ウォールデン・ブック』や『種痘書』などの翻刻書の刊行をみました。そのときに用いられ、伝習されたのが「インキ」であったとしたら楽しい想像です。
アダナ・プレス倶楽部がユーザーの皆さまにご提供する「活版用インキ」は、乾燥剤の添加がない遅乾性のインキです。しかも業務用のように、一斗缶入りや、1kg 缶のような大容量ではなく、使い残しによる無駄と、保存のスペースを省き、できるだけ多くの色彩をご利用いただけるように、特製の小缶入りになっています。
アダナ・プレス倶楽部が提供する活版用インキ(前:小 3 つ)と、業務用 1kg 缶(後:大 2 つ)
いっぽう「ピンセット」は、多くの医学用語と同様に、幕末の長崎に来日した医師のシーボルト( Philipp Franz Siebold 1796 — 1866 )や、ポンぺ( Johannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort 1829 — 1908 )らによってもたらされたと想像されています。本木昌造はポンペとの通訳にもあたっていましたし、その自宅とポンぺの「医学伝習所」は、いっとき隣り合わせという関係でした。ですから医療用のピンセットは知っていたと思われます。
「活版印刷用ピンセット」と、医家向け、デザイナー向けのピンセットとは、外見上そう大きな違いがあるわけではありません。ただ活字を差し替える際や、組み上げた版が崩れないようにしっかりと「結束」する際に用いる道具ですから、バネの弾力が強く、先端が鋭利で、その内側に滑り止めの刻み目があることが特徴です。
活版印刷用ピンセット(前)と、デザイナー向けピンセット(後)