{Viva la 活版 ばってん 長崎} 14 活版印刷作品展示紹介

長崎タイトル

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◎ 田中智子(はな工房)
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【作品名】 『栞』
【作者名】 田中智子(はな工房)
【版式・技法】 箔押
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【作品名】 『MY TYPE』
【作者名】 印刷・製本:田中智子(はな工房)
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷)
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【作品名】 『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』
【作者名】 印刷・製本:田中智子(はな工房)
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷) 図版:凸版(樹脂凸版)
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【作品名】 『風景』
【作者名】 印刷・製本:田中智子(はな工房)
【版式・技法】 文字・他:凸版(活字版印刷)
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【作品名】 『かごっまことば』
【作者名】 印刷・製本:田中智子(はな工房)
【版式・技法】 文字・他:凸版(活字版印刷)
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【作品名】 『風のうた』
【作者名】 印刷・製本:田中智子(はな工房)
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷) 図版:凸版(ゴム版印刷)

◎ 加久本真美
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【作品名】 『活字見本帳』
【作者名】 加久本真美(東洋美術学校 タイポグラフィ・サークル QP 卒業生)
【版式・技法】 凸版(活字版印刷)
一昨年から学校に残る金属活字の整理を開始し、見本帳を制作。
掃除 → 分類(書体・活字サイズ別)→ 印刷の手順で、活字の状態と種類を調査している。

◎ 日吉洋人
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【作品名】 THIS IS A PRINTING OFFICE
【作者名】 言葉:Beatrice Warde   組版・印刷:日吉洋人
【版式・技法】 凸版(活字版印刷)

◎栃木香織(文香―Fumikou―)
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【作品名】 『photo book』
【作者名】 印刷・製本:栃木香織(文香―Fumikou―)  写真:上野隆文(文香―Fumikou―)
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷)  図版:凸版(樹脂凸版)  写真:インクジェット印刷
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【作品名】 『モンヨウ誕生記念』
【作者名】 印刷・製本:栃木香織(文香―Fumikou―)
【版式・技法】 文字:凸版(活字版印刷)  図版:凸版(樹脂凸版、ゴム版画)

宗則和子(botaniko press)
宗則和子(botaniko press)さんの出品は、展示とあわせ受付でも展示して販売されました。
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【作品名】  スズラン 二種類/ワスレナグサ 三種類/スノードロップ 二種類/アンティーク押し花 スミレ 二種類/アンティーク押し花 スミレ/アンティーク押し花 アネモネ 二種類/タマゴタケ・ベニテングタケ
/アマタケ・イッポンシメジ/タマゴタケ/ベニテングタケ/ イッポンシメジ
【作者名】 宗則和子(botaniko press)
【版式・技法】 凸版(樹脂凸版) 

◎ 日本大学藝術学部 美術学科 版画研究室

DSCN7484【作品名】 『SORA 2012』
【作者名】 版画 : 日本大学藝術学部 美術学科 版画研究室
装丁:西尾 彩
【版式・技法】 凸版、平版(リトグラフ)
「キのスプーンのあじがするキセツに」 SAKAI MINORI 酒井みのり
「そらが さびしくないように」 AOYAMA YUKIE 青山由貴枝
「ソラノオト」 SAKAI MINORI 酒井みのり
「いつも見あげております」 ISHIAI HIROKO 石合広子
「ソラ タカク」 YUKO SASAI 笹井祐子
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DSCN7480【作品名】 『THE LOVE OF BOOKS ― Old English Song
【作者名】 版画:日本大学藝術学部 美術学科
高浜利也、菊池史子、笹井祐子、宮澤真徳、山﨑香菜、大槻孝之、
日比野絵美、宮澤英理子
活字組版 : 大石 薫(アダナ・プレス倶楽部)
製 本 : 栃木香織(文香―Fumikou―)
【版式・技法】 版画 : 凸版(リノカット、木版)、凹版(銅板)、平版(リトグラフ)、モノタイプ(モノプリント)など    文字 : 凸版(活字版印刷)

本書は、第35回全国大学版画展(主催:大学版画学会/町田版画美術館)において、日本大学藝術学部 美術学科 笹井祐子准教授(当時)と、大学版画学会所属のアダナ・プレス倶楽部 大石薫による公開セミナー「版画と活字」のための参考展示作品として制作されたものである。
活字版印刷を導入した授業展開の一例として、同じ詩をテーマに、各々でイメージをふくらませながら、それぞれのイメージに合った技法で版画を制作し、一冊の折本のかたちにまとめた試みである。手製本はアダナ・プレス倶楽部会員 栃木香織の協力による。

◎ Bonami
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【作品名】 かみきりサックル
【作者名】 絵・文 : 三木葉苗
               装丁・印刷・手製本 : Bonami
【版式・技法】 文字 : 凸版(活字版印刷)   絵 : 凸版(樹脂凸版)
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【作品名】 さくらとカトリ
【作者名】 絵・文 : 三木葉苗
               装丁・印刷・手製本 : Bonami
【版式・技法】 文字 : 凸版(活字版印刷)  絵 : 凸版(樹脂凸版)
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【作品名】日々への手紙
【作者名】作者:三木葉苗
装丁・印刷・手製本:Bonami
【版式・技法】凸版(樹脂凸版)
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【作品名】 dear my sister
【作者名】 絵 : 三木咲良 文 : 三木葉苗
装丁・印刷・手製本 : Bonami
【版式・技法】 凸版(活字版印刷、樹脂凸版)   平版(オフセット平版印刷)

関 宙明 ユニバーサル・レタープレス
DSCN7507【作品名】 『わが友ユダ』
【作者名】 詩 : 新井延男      版元 : 港の人
本文活字組版・印刷 : 内外文字印刷
表紙箔押し : 真美堂手塚箔押所
デザイン : 関 宙明
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【作品名】 『草地の時間』
【作者名】 詩 : 村野美優      版元:港の人
本文活字組版・印刷 : 内外文字印刷
表紙箔押し : 真美堂手塚箔押所
デザイン : 関 宙明
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【作品名】 『鈴を産むひばり』
【作者名】 歌 : 光森裕樹       版元 : 港の人
本文活字組版・印刷 : 内外文字印刷
表紙箔押し : 真美堂手塚箔押所
デザイン : 関 宙明
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【作品名】 『夜の甘み』
【作者名】 詩 : 伊藤啓子       版元 : 港の人
本文活字組版・印刷:内外文字印刷
表紙箔押し:真美堂手塚箔押所
デザイン:関 宙明
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【作品名】 『詩への途中で』
【作者名】 詩・エッセイ : 高橋 馨        版元 : 港の人
本文活字組版・印刷 : 内外文字印刷
表紙箔押し : 真美堂手塚箔押所
デザイン : 関 宙明
―――
これら一連の書籍のアートディレクション・デザインを担当した関 宙明氏は、Adana-21J をもちいた活版印刷部門ユニバーサル・レタープレスでのみずからの活版印刷実践を、本職であるグラフィック・デザインにも活かし、活版印刷所とのコラボレーションによる書籍づくりを展開しています。

杉本昭生 ぢゃむ
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【作品名】 活版小本
印刷・製本 : すぎもとあきお(ぢゃむ)
【版式・技法】 文字 : 凸版(樹脂凸版)

『芥川龍之介の遺書』芥川龍之介/『マーク・トウェインの箴言集』マーク・トウェイン/『菊池寛』菊池寛/『實語敎』/『盈満の咎』/『黒猫・餅饅頭』薄田泣菫/『漢詩抄』/『子規随筆』正岡子規/『死生に関するいくつかの断想』ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)/『狂訳 小倉百人一首』/『盈満の咎 弐』/『獨樂吟』橘曙覧/『Greise  老人』リルケ・森鴎外訳/『冬日の窓』永井荷風/『老嬢物語』ギ・ド・モーパッサン/『舞鶴心中の事実』高浜虚子/『我が子の死』西田幾多郎/『電車の窓』森鴎外/『尾生の信』芥川龍之介/『夢十夜より  ─第三夜─』夏目漱石/『てがみ・二十一のことば』チェーホフ/『蜜柑』芥川龍之介/『老人の死』シャルル・ルイ・フィリップ/『ごぜくどき地震の身の上』/『道理の前で』 フランツ・カフカ/『変な音』 夏目漱石/『名家遺詠集』/『挽歌詩三種』 陶淵明

◎ タイポグラフィ学会創立10周年 特別参加
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【作品名】 タイポグラフィ学会創立10周年 特別展示
【作者名】 タイポグラフィ学会 有志
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【作品名】 タイポグラフィ学会「本木昌造賞表彰状」
【作者名】 紙面設計 : タイポグラフィ学会
活字組版・印刷 : 大石 薫(タイポグラフィ学会会員)
【版式・技法】 文字 : 凸版(活字版印刷)
オーナメント、プリンターズ・マーク : 凸版(銅凸版)
オーナメントは『BOOK OF SPECIMENS』活版製造所
平野富二(明治10年)より採録

◎ Lingua Florens(桐島カヲル)

DSCN7495【作品名】 断片小説
【作者名】 Lingua Florens(桐島カヲル)
【版式・技法】 文字 : 凸版(活字版印刷)      図版 : 孔版(シルクスクリーン)

「長崎松の森なる千秋亭にて いと厳粛に …… 」と綴った〝ふうけもん〟福地櫻痴。大石は長崎のパワースポットと評す

「長崎松ノ森ナル千秋亭ニテ」(千秋亭は1889・明治22年、総理大臣伊藤博文の命名により富貴楼と改名)ときいて、ハッと反応するような奇妙人を、長崎では〝ふうけもん〟という。
松の森には放し飼いの「若冲 じゃくちゅう」 が数羽いた。おおむねひとになついていたが、一羽挑みかかる鶏がいた。その不届きもんの鶏を「若冲一」と名づけ、以下五羽の鶏と、モソモソとあるく烏骨鶏ウコッケイとしばし戯れた。

東京都美術館の若冲展 は好評だったがきょう(05月24日)で終わり。
会期二日目(4月23日)に参観して息を呑んだやつがれ、「見逃す無かれ 若冲展」として本コーナーでも紹介した。会期後半の週末などは入場に五時間待ちという混雑だったときいた。巡回展が期待されるところである。
そして「長崎松の森なる千秋亭」への再訪の機会をうかがうやつがれがここにいる。
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【良書紹介】 渋沢栄一に学ぶ「論語と算盤」の経営+〝ふうけもん〟か 十八銀行:松田源五郎

20160520212058459_0001渋沢栄一に学ぶ「論語と算盤」の経営
著者名 |水尾順一  田中宏司  蟻生俊夫 編著
判  型    | 四六判   頁数 260ページ
定   価   | 1,944円(本体1,800円+税)
ISBN 9784496051975          第1刷 2016年05月01日

「論語と算盤」にはその理念が次のように述べられている。 「富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」 この理念のもと、ともすれば失われてしまいがちな企業の社会的責任について、現在の経営を根本から見直す。
【 詳細 同友館 OnLine
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{ 新宿餘談 } 長崎タイトル長崎では印刷界でも機械製造界でも、同市出身の平野富二が語られることはほとんどなく、活版印刷なら本木昌造が、機器製造なら岩崎弥太郎だけだと周囲にお伝えしてきた。
今回<Viva la 活版 ばってん 長崎>に各地から訪崎された皆さんは、その実態を眼前にして、やはり驚かれたようであった。

その逆に、三菱重工業長崎造船所(ながせん)の関係者で、懇親会に参加されたかたは、 「今回のみなさんは、平野富二さんに詳しくて、お好きですね~」 といささか呆れていた。

『渋沢栄一に学ぶ「論語と算盤」の経営』 第11章 「算盤勘定だけでない企業経営/IHI」 の執筆者は、IHI 執行役員の水本伸子氏により、渋沢栄一が手がけた多くの事業の一環として IHI の事績を14ページにわたって、とてもわかりやすく、簡潔にまとめている。 とりわけ注目されたのは、
3. 渋沢栄一の貢献  (2) 最初の株主  であった。 

「有限責任石川島造船所」設立の1889(明治22)年、資本総額は17万5000円(1株100円)株主数は17人で計1750株だった。会社創立時の株主名簿は現存していないが、3年目の株主とその持ち株数が第3次営業報告に載っている(図表11-1)。渋沢、平野、梅浦、西園寺の4名は設立時委員を務めた。

図表11-1 最初の株主と持ち株数 (第3次営業報告書[明治25年]記載)
渋沢  栄一  400株
平野  富二  389株
松田源五郎  270株
田仲  永昌  250株
西園寺公成  150株
梅浦  精一  130株

渋沢栄一はともかく、またのちに社長となった梅浦精一のことは若干の知識があったが、ここに第三位の株主として、長崎十八銀行第二代頭取にして「長崎の渋沢といわれた人物」が登場することに興味をひかれた。 松田源五郎M10年 松田源五郎アルバム裏面 上野彦馬撮影たまたま小社に松田源五郎の外戚で、玄孫にあたられるかた(松尾 巌氏)が来社され、明治10年の松田源五郎の肖像写真(撮影:上野彦馬)を提供していただいた。
解像度は低いが一般公開はこれがはじめてとなるようである。

上野彦馬の台紙にみる「明治10年内国勧業博覧会」、このとき松田源五郎36-7歳。
この博覧会は、前年に新設された十八銀行支配人(のち第二代頭取・衆議院議員)松田源五郎が企画したもので、西南戦争の大混乱のさなかに、長崎諏訪公園のいわゆる丸馬場を会場として開催されたものである。

平野富二の創建による「石川島(平野)造船所」が、規模の拡大とともに資金需要がまし、渋沢栄一の助言と支援を得て「有限責任石川島造船所」(現 IHI )となった。
その筆頭株主は第一銀行頭取・渋沢栄一であり、第三位の株主として長崎の十八銀行頭取・松田源五郎が記録に登場するのは、この写真から15年ほどのちのことになる。

松田源五郎立像 戦前 長崎商工会議所 14-4-49353この諏訪公園丸馬場に、戦前は巨大な松田源五郎の立像があった。
この像はならびたっていた「本木昌造座像」とともに戦時供出されたために、いまはいくぶん小ぶりの胸像が設置されている。

この松田源五郎を〝ふうけもん〟と評した人物、長崎新聞に長く勤務した増永 驍がいた。
〝ふうけもん〟とは長崎ことばで、直截には馬鹿を意味する。いずれ詳細を紹介するが、おなじ馬鹿でも、もうすこし愛嬌のある馬鹿のことである。

増永は〝ふうけもん〟の本木昌造・西道仙・松田源五郎を主人公とし、脇役に平野富二・安中半三郎(東来軒・虎與トラヨ書房・素平連スベレン主宰)を配し、同名の小説『ふうけもん』をのこした。
たしかに紹介した写真をみても、冷徹な銀行人というより、長崎人に多い面長で、瞳は好奇心にあふれ、わんぱく坊主がそのまま成長したような風貌にもみえる。

また十八銀行は松田源五郎のころから平野富二の活字版製造(東京築地活版製造所)を終始支援し、同社の取締役にも就任している。
のちにも松田精一(十八銀行第五代頭取、衆議院議員)は、東京築地活版製造所の第五代社長も兼任していたほどの密接な関係にあった。

そのためもあり、すこし松田源五郎と十八銀行にこだわってみたいとおもっていた。そこで昨週末本書を読了した。
読者諸賢に、もっともソロバン勘定の苦手なやつがれが、『渋沢栄一に学ぶ「論語と算盤」の経営』をお勧めするゆえんである。

【Viva la 活版 ばってん 長崎】長崎に現存するインキローラー鋳型とその鋳込み法|-欧文印刷の権威:小宮山清さんからお便りがありました|’16年5月20日|終了

長崎タイトルDSC03576 DSC03579 DSC03586小宮山清氏。昭和6年2月26日うまれ。[1]インキローラー鋳型とその鋳込み法-Ink roller mould & ink roller casting

活版 à la carte : 2016年05月19日}に欧文印刷の大ベテラン:小宮山印刷工業の小宮山清さんからお便りを頂戴した。
小宮山さんは{Viva la 活版 ばってん 長崎}にご夫妻で参加され、{崎陽長崎・活版さるく}には最長老のおひとりだったが、終始若者にまじって、きつい坂道もものともせず行動をともにされていた。

もしかすると「小宮山印刷のおじいちゃん」(失礼!)と呼んで、親しくおつき合いされているアダナ・プレス倶楽部の皆さんは、この情報と、小宮山印刷工業  のWebsite  の詳細をみて驚かれるかもしれない。
名刺には「小宮山印刷工業株式会社   小宮山  清」とだけしるされている。会長だの顧問といった肩書きに類するものはまったくない。
ところが小宮山 清(昭和6年2月26日うまれ  8?歳)さんは、ページ物欧文組版、欧文印刷、高度学術書組版・印刷に関して、わが国有数の知識と経験を有されている。
【 関連情報 : 花筏 タイポグラフィ あのねのね*020
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[小宮山 清さんからのお便り]
今回の長崎では貴重な物、珍しいところ、存分に満喫させて頂きました。

会期終了の次の日に「日本二十六聖人殉教地(西坂公園)」の記念館に寄ってきました。宮田和夫様に長時間ご案内していただき申し訳なかったです。 特に上智大学(イエスズ会)のことで共通の話題などがありました。  

帰りがけに記念館のショップで、雑誌「楽」を買ってきました。 本木昌造、平野富二、二十六聖人のことが書かれてまして。今回の旅行のためのようでしたが、宮田さんがこれを執筆されたのは2012年の発行なのでびっくりしました。
戦前派には欠かせない「原爆資料館」にも行ってきました。本当に楽しい旅行でした。 有難うございました。

ローラー鋳型の写真   20160523222018610_0001 20160523222018610_0002 20160523222018610_0003 20160523222018610_0004『BOOK OF SPECIMENS  MOTOGI & HIRANO』 (活版製造所 平野富二 伝明治10年版 平野ホール蔵) p.102 右肩にインキローラー鋳型が MOULD とされている図版記録をみる

最近の朗文堂のブログで見たのですが、インキをつけるローラーの鋳型のことです。
これはとても貴重な写真です。
わたしの手もとには見当たらないので、よろしかったら、この写真のデーターを送って頂きたいのですが。  

これはわが家にもありましたが、戦前にテキンを購入すると附属品としてついてくるものでした。戦前のインキローラーは、ゴムではなく「にかわ」でした。夏になると印刷中にとけてしまってとても大変でした。
戦前でも勿論ローラー屋さんがあって「たき替え」をしてもらいました。 古いローラーをもう一度「煮なおし」て、各印刷屋に届ける商売です、ローラー屋さんの工場の中は湯気でもうもうでした。

戦後の復興にあたり、わが家でも昭和22年にまたテキンを設備しましたが、ローラー屋さんがまだ再開していなかったので、「にかわ」を買ってきて、テキンと一緒についてきたローラー鋳型でローラーを作って印刷したりしました。  

私事ですが、山の会の友人で印刷用ローラーを作っている知人に、昔は「にかわ」を使って印刷のロールを作っていた事を話した事があります。 この写真を見たとき、これは、どうしてもその知人(『ゴム工業便覧』1,300ページの図書の著者)に、この写真を見せなければと思い、このメールを書いた次第です。

{Viva la 活版 ばってん 長崎}13 新町活版所・境賢治と 貴重資料 インキローラー鋳型 Ink roller mould

長崎タイトル

2-1-49043 32-1-49545-2<Viva la 活版 ばってん 長崎>主会場となった長崎県印刷会館に、長崎新町活版所の境 賢治(1844-?)が明治期に使用していたとされる「インキローラー鋳型 Ink roller mould」が所蔵されている。
きわめて貴重なものではあるが、平素は収蔵庫のなかにしまわれている。今回のイベントに際し、これも貴重品の同館所蔵の「アルビオン型手引き印刷機」二台とあわせ、主会場中央に展示した。

設営日に一時間ほどをかけて清拭し、機械油で注油もして、脇には日吉洋人氏製作のB4判の解説パネルもおいて展示したが、なにぶん今回はコンテンツが多すぎて、この一見地味な機具はあまり注目はされなかったようである。
なにより会場写真として「インキローラー鋳型 Ink roller mould」をアップして撮影した資料はまだ手もとには到着していないのが現状である。したがって「インキローラー鋳型 Ink roller mould」の写真紹介は、前日に収蔵庫にあったときのものを紹介する。
総鉄製で重量は20キログラムほど、重厚感と迫力のあるものである。
DSC03576 DSC03579 DSC03586  インキローラー鋳型1030949

インキローラー鋳型とその鋳込み法
Ink roller mould & ink roller casting

【 roller casting 】  Walzenguss
膠ローラーの鋳込み。インキローラー鋳型(mould)は、円筒状もしくは半円筒状のものを合わせて円筒にしたもので、この筒孔の中心に鉄心棒(roller stock)をたてて、液状のローラー材料(roller composition)の融解せるものを流しこんだり、圧搾空気で注入してインキローラーを製作する。いずれの方法によるも、表面に気泡の生ぜざるように注意するを要す。
『英和 印刷-書誌百科辞典』(日本印刷学会、昭和13年1月15日、印刷雑誌社)

このように、翻訳書としてインキローラー鋳型とその鋳込み法(Ink roller mould & ink roller casting)を解説した『英和 印刷-書誌百科辞典』(日本印刷学会、昭和13年1月15日、印刷雑誌社)は、現在はいわゆる『印刷辞典』の第一版とみなされている。

ところが、第二版以降は、この項目は省略されて第五版にいたっている。
すなわち明治の末ころになるとインキローラー専門の工場が誕生し、一般にはこの機器の解説が不用となったためのようである。
機器や技術の変転がはげしかった「印刷」をつづった『印刷辞典』には、版を重ねるごとに、このようにふるい機器や技術の記載は、仕方がないとはいえもれている事例が多い。

インキローラー(ink roller)は、印刷インキを練ったり、印刷版面にインキをつけたりするための丸棒である。活字版印刷では、ふるくは皮革製のインキボール(タンポとも)をもちい、近年ではニカワ製のインキローラーが多くもちいられてきた。印刷の品質に関わる重要な機材のひとつである。

67現在では一定の耐久性のあるゴム製ローラー、合成樹脂製ローラーが多く使われている。明治中期ころのニカワローラーは7-10日ぐらいで摩耗・劣化がみられ、職人がみずから「巻きなおし(たき替え・煮なおし)」作業にあたっていたとされる。
日日の清拭作業、使用状況と保存状況によるが、いまでも、ときおりは鉄心棒(ローラー軸)と両端のコロを添えてローラー専門工場に依頼し、「巻きなおし」作業が必要になる。
この作業は「養生」を含めて相当の日数を要するため、本格印刷工場ではインキローラーをはじめから交換用予備を含めて複数セットを設備することが多い。

現在ではインキローラー専門の製造・巻きなおし工場も充実している。そこでは耐久性にすぐれたゴムローラーの製造がほとんどで、まれに簡便な樹脂ローラーをみるが、かつては臭気がつよい天然ニカワ(膠)をもちいて、作業者自身が煩瑣な「インキローラー(境賢治は肉棒としるしている)巻きなおし」を頻繁に実施していた。

境 賢治長崎新町活版所の境 賢治(1844-?)が使用していたとされる「インキローラー鋳型 Ink roller mould」が長崎県印刷工業組合に所蔵されている。 またその鋳込み法(ink roller casting)に関する記録が『本邦活版開拓者の苦心』にみられるので紹介する。

我が国初期の肉棒研究者 長崎新町活版所
境 賢治氏 ── 煮方の秘奥を公開す ──

膠ローラーに就いては、今日尚、研究している人が多いくらいであるから、明治初期の関係者が如何に多くの苦心をこれに費やしたかは恐らく想像外であろう。本木[昌造]先生の創設された新町活版所に在って霊腕ママを振るっていた境賢治氏は、明治十年頃から、膠に色々の物を混合して、ローラーの耐久力に関する研究をしていたものである。

明治二十三年になって、其当時としては稍稍理想的なるものを発見することが出来たと云うから、研究にだけ(でも)十何年かを要したことになる。
然るにこの尊い経験を惜しげもなく一般に公開したのであるから、昔のひとは流石に寛容で恬淡で何となく大きいところがあったように思う。
[境賢治]氏の経歴其の他に就いては、調査未了なまま惜しくも省略して、此処には単に氏が公開した肉棒煮方秘訣の一文を記載することにした。

拝啓 ローラーの煮き方に就いては、貴所も随分御苦心致し居られ候も、今回当所にては、肉棒を練るに塩を少々宛入れて練り、殆ど一ヶ年間試験を致し見候処、暑寒により塩を増減し、冬分は膠八斤一釜に塩十六匁を加えて煮き、夏は塩四匁、此割合を用いれば肉棒堅くなること普通法より長く日数を保つのみならず、煮直しをなす時にも早く砕くるに付、其利益莫大なり、最も之は昨春以来当所に於て試験の成績に有之候故宜敷御心懸御実験可然と奉存候。其煮直しにも是迄十日間保つものは十五日間位は必ず差支無之候間兎も角御実験可然と奉存候。
二白 砂糖蜜又は蜂蜜は是迄の如く膠に加え候上に塩を加う事に御座候。
明治二十四年五月
長崎新町活版所  境    賢  治
「わが国初期の肉棒研究者 長崎新町活版所 境 賢治氏-煮方の秘奥を公開す-」 『本邦活版開拓者の苦心』 (伝三谷幸吉執筆、津田伊三郎編、津田三省堂、昭和9年11月25日、p.171-172)

このように境賢治の記録を『本邦活版開拓者の苦心』(昭和9年)にのこした三谷幸吉は、境賢治とは面識がなかったとみられ、半世紀余も以前の、たれに向けたのか判然としない境賢治の書簡を紹介するのにとどまっている。
長崎の新町活版所は、おおくの逸材が大阪・横浜・東京へとあいついで去り、新街私塾(新町私塾)関係者としてはひとり境賢治が孤塁をまもっていた。
ちなみに文末の「二白」は追伸と同義である。

 この新町活版所の孤塁を守りつづけたとされる境賢治に関する記録はすくない。
このすくない記録を整理すると、境賢治は1844年(弘化元)にうまれ、明治帝の最末期に贈位にもれたひとを詮議した1911年(明治44)には67-68歳で健在であったようである。
またこの世代の長崎印刷人の多くは新町私塾の終了生であったが、境賢治は塾生としての記録は見ない人物である。

わずかに『本木昌造伝』(島屋政一 2001年8月20日 朗文堂 p.353)に肖像写真と以下のような記録をみる。
境 賢治20160519202753637_0001

 

 

 

 

 


本木昌造御贈位の詮議があった明治四四年(1911)のころには、長崎在住のおおかたの本木昌造の友人や子弟は物故していたが、高見松太郎(新町私塾出身 貿易商)、岡本市蔵(新町私塾出身、同塾会計掛をつとめた。長寿をたもち反物商)、立花照夫(新町私塾出身、長崎諏訪神社宮司)の三氏が健在で、ほかにはわずかに長崎新町活版所の境賢治(1844-?)が長命をたもっていた。したがって本木昌造の事績調査は主としてこの四名がその任をつとめたのである。

《活字組版術に長けたひと 長崎新町活版所/境賢治による『聖教歴史指南 完』》
本木昌造一門のうち活版印刷術の技術者の多くは、紙幣寮(印刷局)、大阪活版製造所、東京築地活版製造所などに旅立ったが、長崎に残留したのが境賢治であった。

境賢治がのこした印刷物は『長崎新聞』(初代)、『西海新聞』などの新聞印刷のほかにも数点しられるが、『長崎古今学芸書画博覧』(西道仙 海人艸舎蔵版 明治13年 新町活版製造所)、『書画雑記』(筆記幷出版人・西省吾 肥前長崎区酒屋町51番戸 西道仙か?)など大判の枚葉印刷物も多い。すなわち明治12年頃の新町活版所には、手引き印刷機ではなく、相当大型の円圧シリンダー型の印刷機があったと想像されるのである。

 ここに紹介したのは冊子本で『聖教歴史指南 完』(米国聖教書類会社蔵版 明治17年5月)である。「聖教」はキリスト教の意であり、また聖書をも意味した。
最終ページには、振り仮名(ルビ)以外にはあまり使用例をみない「七号明朝活字」字間二分アキで、
「 印 行 長 崎 新 町 活 版 所 」
とちいさくしるしている。
聖教歴史指南 表紙 聖教歴史指南扉 (この項つづく)

{Viva la 活版 ばってん 長崎}Report 12  ことしは平野富二生誕170周年、タイポグラフィ学会創立10周年 盛りだくさんのイベント開催

長崎タイトル ことしは明治産業近代化のパイオニア ──── 平野富二の生誕170周年{1846年(弘化03)08月14日うまれ-1892年(明治25)12月03日逝去 行年47}である。
平野富二
<平野富二>
弘化03年08月14日(新暦 1846年10月04日)、長崎奉行所町司(町使)矢次豊三郎・み祢の二男、長崎引地町(現長崎県勤労福祉会館 長崎市桜町9-6)で出生。幼名富次郎。
16歳長崎製鉄所機関方となり、機械学伝習。
1872年(明治05)婚姻とともに引地町をでて外浦町に平野家を再興。平野富二と改名届出。同年七月東京に活版製造出張所のちの東京築地活版製造所設立。
ついで素志の造船、機械、土木、鉄道、水運、鉱山開発(現IHIほか)など、在京わずか20年でわが国近代産業技術のパイオニアとして活躍。
1892年(明治25)12月03日逝去 行年47
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今回の参加者には平野正一氏(アダナ・プレス倶楽部・タイポグラフィ学会会員)がいた。
平野正一氏は平野富二の玄孫(やしゃご)にあたる。容姿が家祖富二にそれとなく似ているので、格好のモデルとしてスマホ撮影隊のモデルにおわれていた。

平野富二はヒシャクで活字地金を流しこむだけの「活字ハンドモールド」だけでなく、当時最先端の加圧機能が加わった「ポンプ式活字ハンドモールド」を採用して、活字品質と鋳造速度の向上をはかり、東京進出直後から、在京活字鋳造業者を圧倒した。
federation_ 03 type-_03 ハンドモールド3[1]三階主会場には平野ホールに伝わる「本木昌造自筆短冊」五本が展示され、一階会場には  B 全のおおきな肖像写真(原画は平野ホール蔵)が、本木昌造(原画は長崎諏訪神社蔵)とならんで掲出されていた。
本木昌造02
本木昌造短冊本木昌造は池原香穉、和田 半らとともに「長崎歌壇」同人で、おおくの短冊や色紙をのこしたとおもわれるが、長崎に現存するものは管見に入らない。
わずかに明治24年「本木昌造君ノ肖像幷ニ履歴」、「本木昌造君ノ履歴」『印刷雑誌』(明治24年、三回連載、福地櫻痴筆とされる)に収録された、色紙図版「寄 温泉戀」と、本木昌造四十九日忌に際し「長崎ナル松ノ森ノ千秋亭」で、神霊がわりに掲げられたと記録される短冊「故郷の露」(活字組版)だけがしられる。

いっぽう東京には上掲写真の五本の短冊が平野ホールにあり、またミズノプリンティングミュージアムには軸装された「寄人妻戀」が現存している。

DSCN7280 DSCN7282DSCN7388 DSCN7391また平野正一氏はアダナ・プレス倶楽部、タイポグラフィ学会両組織のふるくからの会員であるが、きわめて照れ屋さんで、アダナ・プレス倶楽部特製エプロンを着けることから逃げていた。今回は家祖の出身地長崎にきて、真田幸治会員の指導をうけながら、はじめてエプロン着用で頑張っておられた。
1030963 松尾愛撮02 resize 松尾愛撮03resize 松尾愛撮01 resize下掲写真は平野富二生誕地、長崎町司「矢次家旧在地」(旧引地町、現長崎県勤労福祉会館、長崎市桜町9-6)である。
{5月7日 崎陽長崎・活版さるく}参加者のみなさんとの記念写真となった。
今回のイベントに際して、宮田和夫氏と長崎県印刷会館から同時に新情報発見の報があり、{活版さるく}で皆さんと訪問した。
この詳細な報告は、もう少し資料整理をさせていただいてからご報告したい。
15-4-49694 12-1-49586平野富二生家跡にて矢次家旧在地 半田カメラ
上写真/懇親会会場入口にて 右) 山本太郎さん 左) 日吉洋人さん  横島大地さん撮影
下写真/受付業務担当日の横島大地さん、松尾愛子さん  ほか日吉洋人さん提供写真
横島撮
DSCN7306
DSCN74231030947 1030948 1030949 10309541030958 1030959【 関連情報 : タイポグラフィ学会

{Viva la 活版 ばってん 長崎}11 五月連休後半の長崎があつかった。出島主会場で展示/WS、市内一円で「崎陽長崎活版さるく」展開 ご参加ご協力ありがとうございました

長崎タイトル1030963{Viva la 活版 ばってん 長崎}は、近代機械産業発祥の地、それも140年余の歴史を刻んだ活版印刷にはじまる印刷産業の中核地・長崎県印刷会館を主会場として開催されました。 そのため地元長崎の印刷人だけでなく、ひろく全国から長崎に結集した活版印刷実践者・研究者とのよき交流の場となりました。 イベントには老若男女が多数参加。今後とも長崎の知見と全国の研究が両両あいまって、おおきくひろまるきっかけとなっていけたらなによりのよろこびです。
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これから数回にわたって本欄を中心に{Viva la 活版 ばってん 長崎}の記録を紹介します。
ところが昨年の{Viva la 活版 Let’s 豪農の館}と同様、主催者カメラがほとんど機能していないため、写真記録は参加者有志(到着順:宮田和夫氏、吉澤雅博氏、半田淳也氏、松尾愛子氏、横島大地氏、真田幸治氏、日吉洋人、春田ゆかり氏)の皆さまのご提供によります。
ご協力ありがとうございました。 Viva la 活版  ばってん 長崎WS 吉澤雅博氏撮影 活字高さ見 吉澤雅博カメラ さるく半田カメラ さるく半田02 平野富二生家跡にて矢次家旧在地 半田カメラ

活版礼讃{Viva la 活版 ばってん 長崎} 07 桜井孝三氏 『印刷雑誌』掲載論文抜き刷り集

長崎タイトル長崎で開催の、活版礼讃{Viva la 活版 ばってん 長崎}に向けて、さまざまな展示と印刷物の準備がさかんです。
とりわけことしは、タイポグラフィ学会が創立10周年事業の一環として特別参加されているため、タイポグラフィ学会の製作も熱がこもっています。
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デジタルプリント(一部でオンデマンド印刷とも)の普及で、少部数での印刷物刊行が可能となった。今回の{Viva la 活版 ばってん 長崎}では各種のワークショップの資料として数種類のデジタルプリントによる印刷物が発行され、一部は販売にも供されることになっている。
伊藤伸一表紙 名称未設定-1.indd 第三回本木昌造賞授賞式櫻井_抜刷集その一環として、桜井孝三氏(有限会社東信堂印刷所社長/上掲集合写真前列右端)が1988-1995年のあいだ、全五回にわたって『印刷雑誌』に掲載された論文の抜き刷りをまとめて合本とし、デジタルプリントで再生させた。
この小論から出発して研究をふかめた後進のものは、かくいうやつがれをふくめて数多い。そして本論を知らぬままタイポグラフィ関連の文書を発表すると、おおきな陥穽におちいることもままみれれる現代である。
有為の皆さまが長崎に結集し、本書を手にとっていただけたらうれしい[会場頒価 800円]。

活版礼讃{Viva la 活版 ばってん 長崎} 06 地震お見舞いと長崎県印刷会館の活字の状況

お見舞いこのたびの平成28年熊本地震により、被害を受けられました皆様に対しまして、心よりお見舞い申し上げると共に、被災された皆様の、一刻も早い復旧・復興を祈念いたします。
いまだに余震とはいえない規模の地震がつづいているようです。一刻もはやい収束を念願するとともに、皆皆さまのご息災を切望いたしております。

<Viva la 活版 ばってん 長崎>の主会場「長崎県印刷会館」からのご報告では、2016年04月14日[木]の「前震」ではなにも異常はなかったのですが、04月16日[土]未明の「本震」で、三階の活字ケースから若干の活字が崩落したとの連絡がございました。
下掲写真(本年01月撮影)の活字ケースには、三号明朝体、五号明朝体、9 pt. 明朝体などが設備されていましたが、馬棚上部の活字ケースが倒壊したとのことです。幸い被害はその程度の軽微なものであったとのお知らせをいただきました。
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そのため<Viva la 活版 ばってん 長崎>初日05月06日[金]に予定しておりました「活版印刷で名刺をつくろう」の一部を変更して、アルファベット活字を使用した内容に変更させていただきます。ご了解をたまわりますようお願いいたします。
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活版礼讃{Viva la 活版 ばってん 長崎}05 5月8日「ふたつのハンドモールドで活字鋳造・印刷体験会」 テキスト二冊と貴重動画紹介

長崎タイトル

伊藤伸一表紙名称未設定-1.indd

 {Viva la 活版 ばってん 長崎}
05月08日[日]、10時・11時から、主会場・長崎県印刷会館三階において、復元された二種類の手込み活字鋳造機(ハンドモールド・かつては割り鋳型とも)をもちいての活字鋳造(かつては流し込み活字とも)と、その試作活字による印刷体験会を開催いたします。

初期鋳型研究家・伊藤伸一氏は、米国スミソニアン博物館による復元鋳型をもちいての活字鋳造をおこないます。
タイポグラフィ学会会員・渡辺 優氏には、グーテンベルクの使用したと想定されている復元鋳型を製作し、実証的に活字鋳造ができることを証明しました。
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各回とも先着10名様、参加費3,000円(テキスト、活字付き)。見学はご自由です。

初期活字版印刷者の苦心と工夫を知る得がたい機会です。ふるってのご参加を。
ハンドモールド1ハンドモールド2ハンドモールド3渡辺ハンド1渡辺ハンド2