「平野富二生誕の地」碑 建立有志の会 「現:平野の会」 ── 皆さま
[2025年3月31日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]
ご無沙汰しております。
毎年恒例の「平野富二生誕の地」碑と桜の写真を数枚添付いたします。
記念碑の周辺の変容はさらに次のステップに入りまして、長崎市役所別館(江戸時代の長崎奉行所桜町牢屋)は現在解体作業の真っただ中です。工事は2年がかりで、駐車場&公園機能を兼ねる場所として整備されていくそうです。
石碑の文字ですが、脇の小さな文字は大丈夫ですが、表面の深く彫られた文字に塗られた黒墨は、部分的に少し色を失いつつあります。全体としてみるとまだ気になるほどではありませんが。
寒暖差が激しい気候が続いております。みなさまご自愛くださいませ。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9- 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。碑は江戸時代の三の堀跡の方向(段差の下部)をむいていますが、ここは現在桜並木になっています。
宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が、幼少にして次男ながら「特例をもって」、また当時のならいで大刀・小刀を帯刀し、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても七-八分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。
本稿読者の皆さまも、長崎訪問の折はぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。
【 参 考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 】
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