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【展覧会】茅ヶ崎市美術館|美術館建築 ― アートと建築が包み合うとき|’25年4月1日-6月8日|会期末/ 保存推奨資料

茅ヶ崎市美術館
美術館建築 ― アートと建築が包み合うとき
Art Museum Architecture: Where Art and Architecture Harmonize
会  期  2025年4月1日[火]- 6月8日[日]
休  館  日  月曜日(ただし、5月5日は開館)、5月7日[水]
開館時間  10:00 - 17:00(入館は 16:30 まで)
料  金  一 般 800円、 大学生 600円 茅ヶ崎市内在住65歳以上 400円
      * 高校生以下、障がい者およびその介護者は無料
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
会場案内  茅ヶ崎市美術館
      〠 253-0053 神奈川県茅ヶ崎市東海岸北1-4-45
      TEL 0467-88-1177 FAX 0467-88-1201 ▷ アクセス
協  賛  鹿島建設株式会社、丸井産業株式会社、大成建設株式会社
協  力  WHAT MUSEUM 建築倉庫、株式会社シラヤマ
共  催  茅ヶ崎市、文化庁国立近現代建築資料館
主  催  公益財団法人茅ヶ崎市文化・スポーツ振興財団
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地域に根ざした建築設計で知られる山口 洋一郎の「茅ヶ崎市美術館」は、鳥が翼を広げたような屋根が特徴的です。この湘南の軽やかな空気をまとう当館を舞台に、場の特性を活かす “サイト・スペシフィックな芸術” として、5つの珠玉の「美術館建築」を取り上げます。
石見地方特産の石州瓦で建物全体を覆い、釉薬の違いにより玉虫色の建築を創り上げた内藤 廣「島根県芸術文化センター」。
広島の造船技術を活用した可動展示室を中心に、所蔵作品から着想を得たエミール・ガレの庭、10棟のヴィラ、レストランからなる海辺にたたずむ坂 茂「下瀬美術館」。
瀬戸内の島につくられた銅製錬所の遺構を活用し、周囲の丹念なリサーチのもと、風・水・太陽を “動く素材” として扱い、自然エネルギーによる循環型建築を創り出した三分一 博志「犬島精錬所美術館」。
環境・アート・建築が一体となり、上部に大きく開けた穴からうつろう自然を採り込む、唯一無二の空間で知られる西沢 立衛「豊島美術館」。
加えて、国内の建築資料のアーカイブを行う文化庁国立近現代建築資料館が所蔵する3つの美術館、坂倉 準三「神奈川県立近代美術館」、ル・コルビュジエ「国立西洋美術館」、高橋 靗一 *+第一工房「群馬県立館林美術館」のオリジナル図面も公開します。

本展では、模型や設計図面に加え、初期アイデアスケッチ、建築素材、実験過程がわかる資料を通じ、建築家の思考を辿るとともに、その場所にその美術館がある意味を探っていきます。

* 高橋 靗一 / 読み方:ていいち 靗一の「靗」は青偏に光。以下全て同様。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 茅ヶ崎市美術館 ] 

【展覧会予告】書の美術館 春日井市道風記念館|企画展 「おののとうふう」 ~ 小野一族のひみつ ~|’25年7月18日-8月31日

書の美術館 春日井市道風記念館
企画展
「おののとうふう」 ~ 小野一族のひみつ ~
会  期  令和7年(2025年)7月18日[金]- 8月31日[日]
開館時間  午前9時 - 午後4時30分
休  館  日  毎週月曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館)
観  覧  料  一 般 100円、高校・大学生 50円、中学生以下 無 料 
      * 各種割引、優待情報などは 下掲詳細 参照。
会場案内  書の美術館 春日井市道風記念館
      〠 486-0932 愛知県春日井市松河戸町5丁目9番地3
      電話 0568-82-6110 ▷ 交通アクセス
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小野道風(おののとうふう 894-966)は、平安時代中期を代表する能書(書の上手な人)です。道風の日本書道史上における功績を一口でいえば、従来の中国の書の模倣から脱して、日本風の書を創造したことです。その優美な書は和様の書と呼ばれ、後世に大きな影響を与えました。和様の書は、藤原佐理に継承され、藤原行成によって完成されたといわれ、この三人を三跡とよびます。
春日井市は道風の偉業を讃え、後世に伝えるため、昭和56年、道風生誕の地と伝えられる松河戸町に春日井市道風記念館を開館しました。全国的にも数少ない書専門の美術館です。

今回の企画展では、遣隋使として中国へ渡った小野妹子や、漢詩文に長けた小野篁〔編集:おのの たかむら 802-853 小野小町・小野道風はその孫とされる〕、和歌にすぐれた小野小町など、道風の一族にもスポットをあてつつ、子どもにもわかりやすいよう、小野道風とその書を丁寧にご紹介します。柳と蛙の逸話にもみられる努力の尊さ、古きを学び、それを活かして新しい書を生み出した道風の革新的な精神に触れていただきたいと思います。

※ 夏休み企画として、盛りたくさんなイベントが設定されています。
※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご参加・ご観覧を。
[ 詳 細 : 書の美術館 春日井市道風記念館

{ 新宿餘談 }今回の企画展のテーマ<~ 小野一族のひみつ ~>では、遣隋使として中国へ渡った小野妹子や、漢詩文に長けた小野篁〔編集:おのの たかむら 802-853 小野小町・小野道風はその孫とされる〕、和歌にすぐれた小野小町など、道風の一族にもスポットをあてつつ、子どもにもわかりやすいよう、小野道風とその書を丁寧にご紹介します──とある。
これはおよそお子様向け企画とはいえない。つまり慌ててググったら これに触れた記録が散見 され、資料を繰ったら記録があった。小野道風の一族は長大なつながりと拡がりをもっており、小野小町と小野道風はいとこという関係になる。これは迂闊にも知らなかった。稿者はかつて春日井市でイベントを開催したこともあり、この「春日井市道風記念館」にも数回足をはこんでいる。いまはただ己の無知を羞じるばかりである。

【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── ニュージェント・バーカー『告知』|’25年5月15日

{ ぢゃむ  杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

ニュージェント・バーカー(1888-1955)は
一九二〇年代から三〇年代にかけて人気のあったイギリスの小説家です。
しかし現在では事典にすら記載がないので、経歴の詳細は不明です。
内容は、母親を殺した男が自首するため警察署に向かいます。
その途中に図書館に立ち寄り、
好きな本の背を眺めながら思いを巡らすという話です。
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気にしなければ気にならないとも思えるのですが。
どうも印刷がきれいにできません。
多分試し刷りもせずに、いきなり刷りだしているので
インキが紙に浸透せず、あちこちにくっついて汚れます。
乾燥の時間を長く(片面刷って丸一日)しましたが、まだ十分ではないようです。
調整が必要なのは承知しているのですが、
改善できるかどうかも不明で、すこし億劫になっています。

【 詳 細: ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】

【展覧会】埼玉県立自然の博物館|特別展 秩父鉱山の面影|~ニッチツが所蔵した希代の鉱物標本群~|’25年3月8日-6月15日|鉱物標本参考記録

埼玉県立自然の博物館
特別展 秩父鉱山の面影
~ニッチツが所蔵した希代の鉱物標本群~
開催期間  令和7年(2025)3月8日[土]- 6月15日[日]
休  館  日  月曜日(祝日 及び GW 期間中は開館)
会場案内  埼玉県立自然の博物館 2階企画展示室
      〠 369-1305 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1417-1
      電話:0494-66-0404(代表)ファックス:0494-69-1002 ▷ アクセス
料  金  一 般 200円、高校・大学生 100円、中学生以下 無料
      * 障害者手帳等をお持ちの方及び介助者1名無料
お問合せ  電 話 0494-66-0407
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秩父鉱山の歴史をたどりながら、株式会社ニッチツ秩父事業所より寄贈を受けた100点余りの標本群を展示します。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 埼玉県立自然の博物館 

【輝安鉱標本】本木昌造が谷口黙次を派遣して採掘したとされる熊本県天草市天草町産出-輝安鉱の鉱石標本

アンチモンの原料鉱石/輝安鉱の原石とその産出地
アンチモン【 独:Antimon, 英:Antimony, 羅:Stibium 】
本木昌造が谷口黙次を派遣して採掘したとされる
「肥後国西彼杵郡高原村-熊本県天草市天草町」の

鉱山から産出したアンチモンの原料鉱石/輝安鉱 キ-アン-コウ

き-あん-こう【輝安鉱】――広辞苑
硫化アンチモンから成る鉱物。斜方晶系、柱状または針状で、縦に条線がありやわらかく脆い。鉛灰色で金属光沢がある。アンチモンの原料鉱石。

《ともかく鉱物 イシ が好きなもんで……》
どんなジャンルにも熱狂的なマニアやコレクターがいるらしい。この輝安鉱の原石を調査・提供されたかたは、重機械製造で著名な企業の、技術本部の有力社員であるが、ご本人の強いご要望で和田さんとだけ紹介したい。
和田さんは小社刊『本木昌造伝』(島屋政一著 2001年8月20日 p.106)をお求めになられた。そこに紹介された「伊予白目、アンチモニー、輝安鉱」に関するわずかな記録に着目され、ときおり来社され、また情報交換をすることになった。

¶  ともかく鉱物の原石イシに関心がおありである。全国規模で同好の士も多いとされる。そのため、あちこちの鉱山をたずね歩き、すでに廃鉱となった鉱山ヤマでも「現地調査」をしないと気が済まないとされる。そして、たとえ廃鉱となっていても、その周辺の同好の人士と連絡しあえば、少量の残石標本程度は入手できるそうである。
「蛇ジャの道は 蛇ヘビですからね」[蛇足 ―― 蛇がとおる道は、仲間の蛇にはよくわかるの意から、同類・同好の仲間のことなら、なんでも、すぐにわかるということ]と笑ってかたられる。
上掲写真のお譲りいただいた輝安鉱の原石は、手のひらに載るほどわずかなものだが、ふしぎな光彩を放って存在感十分である。これがアンチモンになる。かつては日本が世界でも有数の輝安鉱の産出国であったそうだが、現在は採掘されることがほとんどなく、多くは中国産のレアメタルになっているそうである。

¶  和田さんはこと鉱石に関してはまことにご熱心であり、マニアックなかたでもある。もちろんさまざまな原石のコレクションを保有されており、グループの間では展覧会や交換もさかんだそうである。そんな和田さんは、金属活字の主要合金とされるアンチモンに関して、わが国印刷・活字業界に資料がすくなく、当該資料にかんしても、その後ほとんど調査がなされていないことがむしろふしぎだと述べられた。

¶  このような異業種のかたからの指摘は、筆者にとってはまことに痛いところを突かれた感があり、汗顔のきわみであったが、これを機縁として、簡略ながらわが国の近代活字鋳造における「伊予白目、アンチモニイ、アンチモン、アンチモニー、輝安鉱」の資料を、わずかな手許資料から整理してみた。
まだ精査を終えておらず、長崎関連資料や、牧治三郎、川田久長らの著述も調査しなければならないが、それは追々追記させていただきたい〔管見ながら印刷業界からのみるべき報告は無かった〕。目下の調査では、本木昌造が社員某、あるいは初代谷口黙示に採掘させたとするアンチモニーの鉱山、
「肥後の天草島なる高浜村、肥後国西彼杵郡高浜村」
の記述は、福地櫻痴の記述では探鉱のことや産出地の地名などはみられず、出典不明ながら三谷幸吉が最初に述べていた。ふるい順に列挙すると下記のようになる。

〔福 地〕「本木昌造君ノ肖像并ニ行状」『印刷雑誌』(伝/福地櫻痴筆 第1次 第1巻 第2号 明治24年2月 1891年 p.6)
〔三谷1〕『詳伝 本木昌造 平野富二』(三谷幸吉 同書頒布会 昭和8年4月20日 1933年 p.61-62)
〔三谷2〕「本邦活版術の開祖 本木昌造先生」『本邦 活版開拓者の苦心』(三谷幸吉 津田三省堂 昭和9年11月25日 1934年 p.21-22)
〔島 屋〕『本木昌造伝』(島屋政一 朗文堂 2001年8月20日 脱稿は1949年10月 p.102-6, p.175)
〔福 地〕 原文はカタ仮名交じり。若干意読を加えた。
安政5年(1858)本木昌造先生が牢舎を出でて謹慎の身となられしころ、もっぱら心を工芸のことにもちいた。(中略)従来わが国にて用いるところの鉛は、その質純粋ならずして、使用に適さざるところあるのみならず、これに混合すべき伊予白目(アンチモニイ)もはなはだ粗製であり、硫黄その他の種々の物質を含有するがゆえに、字面が粗造にて印刷の用に堪えず。アンチモニイ精製の術は、こんにちに至りてもいまだ成功せず。みな舶来のものをもちいる。

〔三谷1〕 若干の句読点を設けた。
明治六年[本木昌造先生](五十歳) 社員某を肥後の天草島なる高濱村に遣はして、専らアンチモニーの採掘に從事せしむ。先生最初活字製造を試みられしに當りて、用ふる所の伊豫白目イヨ-シロメ(アンチモニー)は、其質極めて粗惡なるのみならず、産出の高も多からざれば、斯くて數年を經ば、活字を初として、其他種々なる製造に用ふべきアンチモニーは悉コトゴトく皆舶來品を仰ぐに至るべく、一國の損失少からじとて、久しく之を憂へられしに、偶偶タマタマ天草に其鑛あることを探知しければ、遂に人を遣はして掘り取らしむるに至れり。さて先生が此事の爲めに費されたる金額も亦甚だ少からざりし由なり。然れども其志を果す能はず、中途にて廢業しとぞ。
編者曰く
註 社員某とあるは先代谷口默次[1844-1900 初代]氏を指したのである。卽ち當時アンチモニーは、上海と大阪にしか無かつたので、平野富二先生が明治四年十一月に、東京で活字を売った金の大部分を、大阪でアンチモニーの買入れに費やした位であるから、〔大阪活版製造所代表の初代〕谷口默次氏が大阪で一番アンチモニーに經験が深かつた關係上、同氏を天草島高濱村に差向けられたのである。

〔三谷2〕 若干の句読点を設けた。
(前略)斯カくの如く、わずか両三年を出でずして、其の活版所を設立すること既に数ヶ所に及んで、其の事業も亦漸く世人に認められるようになったが、何がさて、時代が時代だったから、如何に其の便益にして、且つ経済的なることを世間に宣伝はしても、其の需用は極めて乏しく、従って其の収益等はお話にならぬものであった。
而シかも日毎に消費するところの鉛白目[ママ](アンチモニー)や錫を購入する代金、社員の手当、其他種々の試験等の為に費やす金高は実に莫大で、[本木昌造]先生は、止むなく伝家の宝物什器等悉コトゴトく売り払って、これに傾倒されたと云うことである。先生の難苦想うだけでも涙を禁じ得ないのである。

明治六年[1873年]、門弟谷口黙次タニグチ-モクジ[1844-1900 初代]氏を、肥後国天草島なる高浜村に遣わし、専らアンチモニーの採掘に従事させた。先生が最初に活字の製造を試みられた当時に使用した伊豫白目(アンチモニー)は、其質極めて粗悪で、且つ産出の高も多くなかったから、若しこのまま数年を経過すれば、活字は勿論其他種々な製造に用うべきアンチモニーは、悉コトゴトく舶来品を仰ぐに至るであろう。斯くては一国の損失が莫大であると憂慮され、種々考究中、偶々タマタマ天草に其鉱脈のあることを探知したので、早速前記谷口氏を派遣して、これを掘り取ることに努めさせたのであるが、どう云うわけであったか、其の志を果さず中途で廃業された由である。

〔島 屋〕 本木昌造は鹿児島に出張中に、上海では「プレスビタリアン活版所」や「米利堅メリケン印書館」および「上海美華書館」[この3社はいずれも上海・美華書館を指すものとおもわれる]などと称するところにおいて、漢字の活字父型と、その活字母型をつくっていて、また多くの鋳造活字を製造していることをきいた。そのために長崎に帰ってから、早速門人の酒井三蔵(三造とも)を上海につかわして、活字母型の製造法を伝習せしむることとした。(中略)
上海で日本製の金属活字(崎陽活字)を見せて批評を求めたのにたいしては、活字父型の代用として、木活字の技術を流用することができること。その木活字は、字面が平タイラで、大きさが揃っている必要があることなどを知ることができた。また見本として持参した活字地金の品質に関してはきびしい指摘がなされた。つまり地金に混入するアンチモニーは、もっと純度が高くなければならぬことなどを聞きこんできた。
そのために本木昌造は、伊予[愛媛県]に人を派遣して、当時伊予白目イヨシロメと称されたアンチモニーを研究させたが、これも純度を欠いていたので、天草島の高浜村にアンチモニーの良質の鉱脈があることを聞いて、さっそくここにも人を派遣して、調査の上採掘に従事させた。この事業は莫大な費用を要して、しかも得るところは僅少で、やむなく事業を中止することになった。(後略)
明治4年(1871)11月、平野富二は事業の第一着手として、社員2名とともに新鋳造活字2万個をたずさえて東京におもむいた。(中略)帰途には大阪活版製造所に立ち寄って、良質の活字地金用の鉛と、アンチモニーを買い入れて長崎に帰った。

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《肥後の天草島なる高浜村、肥後国西彼杵郡高浜村 ─── 熊本県天草市天草町》
「輝安鉱」の標本を「これは差しあげます。若干の毒性がありますから取り扱いには注意して」とのみかたられて、和田さんは飄々とお帰りになった。
標本の採集地は「熊本県天草市天草町」だそうである。
そもそも本木昌造らによるアンチモニーの鉱山であった場所は、「肥後の天草島なる高浜村、肥後国西彼杵郡高浜村」と記述にバラツキがみられた。
また、現在の市政下ではどこの県、どこの市町村かもわかりにくかった。また、肥前の国・肥後の国は、現在は存在しないし、迷いがあって熊本県東京出張所から紹介されて、天草市役所観光課に架電した。その結果、たしかに同市にはいまも高浜地区があり、その周辺では「天草陶石」などが採掘されているそうである。ただ「輝安鉱」の鉱山、もしくはその廃鉱に関しては「存じません」という回答であった。

彼杵郡は「そのぎ-ぐん、そのき-の-こおり」と訓む。
彼杵郡は、かつて肥前の国の中西部にあった郡であるが、明治11年(1878)の郡区町村法制定にともなって、東彼杵郡と西彼杵郡の1区2郡に分割されたようである。ウィキペディア にも紹介されているが、書きかけで、少少わかりづらい。
タイポグラファとしては、ここは鉱石標本をみて楽しむだけではなく、やはり現地調査のために長崎・熊本行きを目論むしかないようである。あるいは「蛇ジャの道は 蛇ヘビ」で、長崎のタイポグラファの友人からの情報提供を待つか。
こうした一見ちいさな事蹟の調査を怠ったために、わが国のタイポグラフィは「書体印象論」を述べあうことがタイポグラファのありようだという、矮小化された誤解を生じさせたような気もする昨今である。

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《活字地金とアンチモン》
活字地金各種。刻印は鋳型のメーカー名で、さしたる意味はない。

金属活字の地金(原材料)は、鉛を主成分として、アンチモン、錫スズを配合した三元合金からなっている。
鉛は流動性にすぐれ、低い温度で溶解し、敏速に凝固する性質をもっているため、合金による成形品には良く用いられる金属である。
また、錫は塑性(形成・変形しやすい性質・可塑性)に関わる。
アンチモンは合金の硬度を増し、表面の平滑性をたかめる働きがある。
わが国の印刷業界では近代活字版印刷術導入の歴史を背景として、ドイツ・オランダ語系の名称から「アンチモン」と呼称されるが、ほかの業界では英語からアンチモニーとされることのほうがおおい。「アンチモン、アンチモニー」に関しては ウィキペディアに詳しい解説があるので参照してほしい。

文字活字のばあい、その地金の配合率は、鉛70-80%、錫1-10%、アンチモン12-20%とされるが、その配合率は、活字の大小、用途、企業によってそれぞれ異なる。また活字地金は業界内では循環して利用されている。
摩耗したり、損傷した活字は「滅メツ箱、地獄箱 Hell-Box」と呼ばれる灯油缶やクワタ箱に溜められたのち、ふたたび融解して成分を再調整し、棒状などの活字地金〔インゴット〕にもどして利用されている。

〔 初 出 : 朗文堂ブログ 花筏 タイポグラフィあのねのね*004 アンチモンの原料鉱石、輝安鉱 2011年3月3日 〕── 若干補筆・整理を加えて転載した。

【展覧会】小山市立車屋美術館|静寂の詩学 生井亮司彫刻展|’25年5月3日-7月13日

小山市立車屋美術館
静寂の詩学 生井亮司彫刻展
会  期  2025年5月3日[土]- 7月13日[日]
開館時間  午前9時 - 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休  館  日  毎週月曜日(5月5日は開館)、5月7日[水]、5月23日[金]6月27日[金]
会場案内  小山市立車屋美術館
      〠 329-0214  栃木県小山市乙女3丁目10番34号
      電 話:0285-41-0968  ファクス:0285-41-0922      ▷ アクセス
観  覧  料  一 般 500円(団体 360円)、 大高生 300円(団体 180円)
      中学生・義務教育学校生以下無料
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
後  援  FMおーラジ、下野新聞社、テレビ小山放送
主  催  小山市立車屋美術館
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生井亮司(1974年生まれ、小山市在住)の彫刻展。生井は、漆と麻布、砥粉を主な材料にした乾漆技法を用い、そのなめらかで柔らかな質感の特長を生かして、主に人物像の創作に取組んでいます。作品は対象を徹底的に見つめ、かつ自己との対話をへて制作され、静謐なたたずまいが印象的です。
本展は故郷を拠点に創作活動を続けてきた25年間の創作の軌跡を、近年の人物像や抽象的形状の彫刻作品とドローイング、またあらたな表現手法として取り組みはじめた絵画作品によって紹介します。併せて、敷地内の国登録有形文化財(小川家住宅)での展示をおこない、建築物の趣と作品の静かなたたずまいを掛け合わせ、あらたな魅力を引き出そうとする展覧会です。

> 生井亮司プロフィール <
1974年 栃木県小山市生まれ
1998年 武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科卒業
2009年 東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了 博士(美術)
2006年 第80回国画会展出品(2023年まで毎年出品)、個展「幽かな夏」(フタバ画廊/東京)
2008年 個展「RAINDROPS」(starnet.ZONE、ギャラリー悠日/栃木)
2009年 第83回 国展 国画賞
2013年 「少年の詩学―生井亮司個展」(小山市立車屋美術館)
2019年 「美術教育の森展」(東京藝術大学美術館)
2022年 「Articuration ―区切りと生成」企画・出品(小山市立車屋美術館)
現在 武蔵野大学教授、日本美術家連盟会員

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 小山市立車屋美術館 ] 

【展覧会】大阪大学総合学術博物館|特別展 生誕100周年記念 松本奉山 ー 水墨画で世界を描くー|’ 25年4月26日-6月28日

大阪大学総合学術博物館
特別展  生誕100周年記念
松本奉山 ー 水墨画で世界を描くー
期  間  2025年4月26日[土]- 6月28日[土] * 会期内に展示替を予定。
会場案内  大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館 3階 多目的室
      〠 560-0043 大阪府豊中市待兼山町1-20
      Tel 06-6850-6284(10時30分-17時00分/日・祝休館) ▷ アクセス
時  間  10時30分 - 17時00分(最終入場16時30分)
休  館  日  日曜・祝日休館。ただし、5月3日[土・祝]は「いちょう祭」のため開館
協  力  今治城、大本山摩耶山天上寺、松本奉山水墨画会、
      大阪大学大学院人文学研究科、大阪大学文学部
主  催  大阪大学総合学術博物館
入場無料
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松本奉山(1925-2010、本名:松本由美子)は、水墨画で世界を描いた女性の画家です。大正14年(1925)愛媛県今治市に生まれ、昭和13年(1938)神戸市灘区に移り住み、17歳で松本尚山(1886-1970)の内弟子となり、厳しい指導のもと鍛錬を積みました。
最初、油絵志望であった奉山は「水墨画で自分の描きたいものが描けるのか」という葛藤を抱えていましたが、昭和38年(1963)の初渡米をきっかけに新たな画境を切り開き、前例のない水墨画を作り上げました。その後も、オーストラリア、ニュージーランド、ヨーロッパ各国、ブラジル、トルコなどで個展や席上揮毫を行い、世界をまたにかけて活躍しました。一方で、兵庫や琵琶湖、故郷の瀬戸内海など、日本の静かな風景に心を惹かれ連作を発表しました。
本展覧会では、奉山の初期から晩年にいたるまでの作品、スケッチブックなど、およそ100点を展示いたします。そのなかには、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災で全壊した奉山の画室から救い出された資料も含まれています。今年は奉山の生誕100年であると同時に、阪神・淡路大震災から30年になります。この節目の年に、これまで未紹介であった作品を展示公開することで、奉山の功績を後世へ引き継ぐことができれば幸いです。

<展示構成(予定)>
◇ 序章 美山から奉山へ ―厳しい修行時代―
◇ 1 章  HOZAN開眼 ―世界へ羽ばたく水墨画―
◇ 2 章  静かな風景に心惹かれて ―日本美の再発見―
◇ 3 章  奉山芸術の到達点 ―墨色が奏でる最弱音(ピアニッシモ)―
◇ 終章 受け継がれる奉山の教え

 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 大阪大学総合学術博物館 ] 

【展覧会】京都工芸繊維大学美術工芸資料館|建築設計実習IV 歴史グループ アーカイブズ課題 2024年度成果展|泉屋博古館|’25年4月21日-5月17日|終了

京都工芸繊維大学美術工芸資料館
建築設計実習IV 歴史グループ アーカイブズ課題 2024年度成果展
(竣工:1970年、設計:日建設計、施工:鴻池組・住友建設)
泉屋博古館
開催期間  2025年4月21日[月]- 5月17日[土]
休  館  日  日曜・祝日
開館時間  10:00 - 17:00(入館は16:30まで)
会場案内  京都工芸繊維大学美術工芸資料館 1階 第2展示室
      〠 606-8585 京都市左京区松ヶ崎橋上町
      電話番号 075-724-7924  ファックス 075-724-7920
入  館  料  一 般 200円、大学生 150円、高校生以下 無料
      * 各種割引、優待情報などは 下掲詳細 参照。
協  力  公益財団法人 泉屋博古館
主  催  京都工芸繊維大学美術工芸資料館
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デザイン・建築学課程建築コースの歴史グループでは、3回生の演習科目・建築設計実習IVで取り組むアーカイブズ課題において、美術工芸資料館などが所蔵する建築設計図面の読解と模型製作を通して近現代の建築について学んでいます。
2024年度は、2025年4月にリニューアルオープンする泉屋博古館(竣工:1970年、設計:日建設計、施工:鴻池組・住友建設)に取り組みました。課題の成果を基に新たに作成した模型とともに、泉屋博古館の竣工図面や写真を紹介し、同館の魅力に迫ります。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 京都工芸繊維大学美術工芸資料館

【展覧会】泉屋博古館〔京都東山・鹿ヶ谷〕|リニューアル記念名品展|帰ってきた泉屋博古館 いにしえの至宝たち|25年4月26日-6月8日|会期末

泉屋博古館〔京都東山・鹿ヶ谷〕
リニューアル記念名品展Ⅰ
帰ってきた泉屋博古館 いにしえの至宝たち
会  期  2025年4月26日[土]- 6月8日[日]
休  館  日  月曜日(5月5日は開館)、5月7日[水]
開館時間  午前10時 - 午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場案内  泉屋博古館〔京都東山・鹿ヶ谷-ししがたに〕
      〠 606-8431 京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24
      TEL 075-771-6411 FAX 075-771-6099  ▷ アクセス
入館料金  一 般 1,000円、学 生 600円、18歳以下無料
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
問い合せ  リンク先の お問い合わせフォーム からお願いします 
後  援  京都市、京都市教育委員会、京都市内博物館施設連絡協議会、
      公益社団法人京都市観光協会、NHK京都放送局
主  催  公益財団法人泉屋博古館、日本経済新聞社、京都新聞
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 ☆ Art 瓦版 掲載図版のほとんどは図版をクリック or タップすると拡大表示されます ☆

京都東山・鹿ヶ谷-ししがたに-の地にて開館以来65年目を迎える2025年春、当館は1年の改修工事を経て装いを新たに再び始動します。
記念の第一弾は、一貫して活動の核としてきた住友家伝来の美術品を中心に、日本、中国、朝鮮の古代から近世にいたる美術工芸の代表作を精選してご紹介します。
いにしえから名高い逸品、時代とともに新たな価値が見出された優品、さらには今後注目を集める可能性を秘めた珍品。いずれも、時に気高く、時に優しく、出会う度に違った表情を見せてくれます。観る人の心に寄り添う不朽の住友コレクション、その奥深さに再び出会うまたとない機会です。

帰ってきた! 1年の改修休館を経て公開活動を再開します。一新した設備と変わらぬ京都東山の環境で皆様をお迎えします。
帰ってきた! 改修工事のため移動していた収蔵品が無事帰還。一同揃って皆様をお迎えします。
帰ってきた! 大阪万博の1970年に建設され、京都の戦後モダニズム建築としても注目される青銅器館。過去の改修で損なわれていた象徴空間を取り戻し、皆様をお迎えします。

ココがポイント!
❖ 1 泉屋博古館の代表作を網羅
絵画、書跡、茶道具や文房具、仏教美術まで、当館が誇る各分野を網羅、6世紀から19世紀にいたる日本・中国・朝鮮の美術工芸の代表作が一堂に並びます。今後注目される可能性を秘めた珍品も?!
❖ 2 住友コレクション、5つのキーワード
館蔵の住友コレクションを5つのキーワードから読み解きます。それらを愛で守り継いだ人々の理想や憧れ、祈りや願望、癒やし、そして愉しみを展示室でともに分かち合いましょう。
❖ 3 邸宅に招かれたお客様気分でごゆっくり
かつて住友家の別邸の一角だった場所にたたずむ泉屋博古館。東山の緑深く静謐な空間で四季折々の自然と感じながら、住友家に招かれた気分で心ゆくまでお過ごしください。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 泉屋博古館〔京都東山・鹿ヶ谷〕 ] 

【展覧会】印刷博物館|企画展 グーテンベルクとドイツ出版印刷文化|’25年4月26日-7月21日

印刷博物館
企画展
グーテンベルクとドイツ出版印刷文化
会  期  2025年4月26日[土]- 7月21日[月・祝]
開館時間  10時 - 18時(入場は17時30分まで)
休  館  日  毎週月曜日(ただし祝日・振替休日の場合は翌日) / 展示替え期間
         * 詳細は展示予定スケジュールをご参照ください。
入場料金  一 般:500円、学 生:200円、高校生:100円、
      中学生以下および70歳以上の方無料
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
会場案内  印刷博物館
      〠 112-8531 東京都文京区水道1丁目3番3号 TOPPAN小石川本社ビル
      詳細地図は こちら(マピオン提供)
      TEL 03-5840-2300(代) FAX 03-5840-1567
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  グーテンベルクの発明は魔術だったのか
1000年以上の歴史を有する印刷史のなかでもグーテンベルクによる活版印刷術の発明は大事件でした。中世末期の15世紀なかばに確立されたこの技術は、テキストの複製手段が主に手写だったヨーロッパを瞬く間に席巻しました。発祥の地ドイツでは、魔術や魔法を意味する「ディ・シュヴァルツェ・クンスト(die schwarze Kunst)」と呼ばれ、独自の出版印刷文化が形成されます。
本展では、今日産業の領域で過去のものとみなされている活版印刷術と活字書体が国の文化形成に大きく影響を与えてきた様子を、その技術を生み、誇りとして現代に継承するドイツを通じて振り返るとともにグーテンベルクの功績に迫ります。

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[ 詳 細 : 印刷博物館 ] 

【NEWS】慶應義塾大学アート・センターが 改正博物館法の定める「登録博物館」として新規登録|‘25年4月

慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

慶應義塾大学アート・センターが
改正博物館法の定める「登録博物館」として
新規登録されました

慶應義塾大学アート・センターは、2011 年に現在の所在地である三田キャンパス南別館に移転し、同館1階に専用展示施設「アート・スペース」を開室しました。さらに、2013年に東京都教育委員会に申請し、旧博物館法のもと「博物館相当施設」に指定されました。博物館法において、学芸員資格取得のために必要な単位のうち博物館実習に関しては、登録博物館または相当施設における実習により習得することが明記されています。これまでアート・センターは博物館相当施設として学生の学芸員資格取得を支えてきました。

2022年4月「博物館法の一部を改正する法律」が公布され、2023年4月から施行されました。約70 年振りの単独での法改正となり、博物館の登録要件についても見直しがありました。旧博物館法においては、学校法人が設置する博物館は、相当施設としての申請しか認められませんでしたが、改正博物館法において、学校法人の博物館も新たに登録博物館となることが認められました。

この度の法改正を受け、慶應義塾大学アート・センターは改めて「登録博物館」として東京都教育委員会に申請し、審査の結果、2024 年12 月23 日付で「登録博物館」として新規登録されました。 今後もアート・スペースでの展覧会の開催、研究アーカイヴの構築と運用、学内収蔵品の調査・研究、博物館実習をはじめとする大学および一貫教育校を対象とした教育活動、地域との連携などに取り組み、国内外の芸術研究の進展に寄与してまいります。

慶應義塾大学アート・センター(三田キャンパス南別館1F アート・スペース)
〠 108-8345 東京都港区三田2-15-45
慶應義塾大学三田キャンパス南別館
TEL 03-5427-1621 FAX 03-5427-1620 ac-tenji☆adst.keio.ac.jp

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 慶應義塾大学アート・センター 当該資料掲載ページ
[ 参 考 : 文化庁 博物館法の一部を改正する法律(令和4年法律第24号)について

【展覧会】豊島区立 熊谷守一美術館|特別企画展 めぐる いのち 熊谷守一美術館40周年展|’25年4月15日-6月29日

豊島区立 熊谷守一美術館
特別企画展
めぐる いのち 熊谷守一美術館40周年展
会  期  2025年4月15日[火]- 6月29日[日]
会場案内  豊島区立 熊谷守一美術館 第一・第二・第三展示室
      〠 171-0044 東京都豊島区千早2丁目27-6
時  間  午前10時30分 - 午後5時30分 (最終入館/閉館の30分前まで)
休  館  日  毎週月曜日(祝日問わず)
観  覧  料  一 般 700円、高・大学生 300円、小・中学生 100円、小学生未満 無料
      * 障害者等手帳ご提示の方は100円(介助の方1名無料) 
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照
主  催  豊島区立 熊谷守一美術館
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画家・熊谷守一が亡くなるまで45年間暮らした家(アトリエと庭)の跡地に建つ熊谷守一美術館は、2025年で開館から40年を迎えます。
節目となる2025年の特別企画展では、「めぐる いのち」と題して守一が描いた家族の肖像をご紹介し、わずか4歳で亡くなった我が子を描いた大原美術館の名品「陽の死んだ日」を当館で初めて展示します。
また、娘の弔いから帰る残された家族の姿を描いた「ヤキバノカエリ」(岐阜県美術館蔵)、画業初期に描いた父母の肖像、さらには、のちに妻となる女性を描いた「某婦人像」や、孫を抱く娘を描いた「母子像」を展示します。守一が家族と共に過ごした場所で、守一が見つめたいのちの輝きと、めぐるいのちの物語を御覧いただきたいと思います。

❖ 見どころ ❖
◇ 1. 父母や妻の像、そして子どもたちの姿など、守一が家族を描いた作品が、一堂に集まります。
◇ 2. わずか4歳で亡くなった次男 陽を描いた近代洋画の名品「陽の死んだ日」(大原美術館蔵)を、当館にて初公開します。
◇ 3. 長女 萬を亡くしてもなお、歩み続ける家族の姿を描き、モリカズ様式の確立をもうかがわせる熊谷守一の代表作、「ヤキバノカエリ」(岐阜県美術館蔵)を公開します。
◇ 4. 戦時下に病に倒れ、21歳の若さで亡くなった長女 萬にまつわる油彩や素描、その他資料などを展示します。特に、亡くなる直前に本人が「南無阿弥陀佛」と書き付け、長らく家族が保管していた黒板を、今回初めて一般に公開します。
◇ 5. 生涯を共にした妻 秀子を、結婚前に描いた「某夫人像」や、孫を抱く次女 榧の姿を描いた「母子像」など、守一が描いた家族の肖像を通して、めぐるいのちの物語をご紹介します。
◇ 6. 「白猫」「アゲ羽蝶」をはじめとした、守一が愛したいきものや植物、人物や風景も同時に展示し、守一が見つめたいのちの輝きをご覧いただきます。
◇ 7. 「蟻」をはじめ、身の回りのいのちを描いた水墨画や、「蒼蠅」をはじめとした、個性豊かな書作品、また、軽やかで悠々とした鉛筆画やクレパス画を展示し、守一の様々な作品をお楽しみいただきます。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 豊島区立 熊谷守一美術館 ] 

【展覧会】東京大学総合研究博物館|特別展示 FORMOSA-異端の植物学者 早田文藏|’25年4月24日- 9月5日

東京大学総合研究博物館
特別展示
FORMOSA-異端の植物学者 早田文藏
会  期  2025年4月24日[木]- 9月5日[金]
開館日  土曜・日曜・祝日(ただし、講演会開催日は13:00-17:00開館)
      * 臨時休館することがあります。事前に 開館カレンダー を確認下さい。 
開館時間  10:00 - 17:00(入館は16:30まで)
会場案内  東京大学総合研究博物館(東京大学本郷キャンパス内)
      〠 113-0033東京都文京区本郷7-3-1 ▷ 交通・アクセス
      問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
協  力  東京大学大学院理学系研究科附属植物園、台湾農業部林業試験所、
      国立台湾大学生態学・演化生物学研究所
企画・総指揮  池田 博
主  催  東京大学総合研究博物館
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◇ 講演会
会  場  東京大学総合研究博物館  7階ミューズホール(集合場所は1階展示会場内)
      定 員:50名(先着順、事前申込み不要)
① 5月25日[日]15:00-16:00
  「早田文藏の生涯と業績」池田 博(東京大学総合研究博物館・准教授)
② 6月15日[日]15:00-16:00
  「ゲーテ[植物変態論]と早田文藏」山中慎太郎
      (東京大学大学院人文社会系研究科・博士課程)
③ 6月29日[日]15:00-16:00
  「早田文藏の[動的文類学説]と[華厳思想]」中村陽一
      (秋草学園短期大学・名誉教授)
④ 7月13日[日]15:00-16:00
  「早田文藏の生命論と法華経」中尾 暁
       (広島大学大学院人間社会科学研究科・研究員)
⑤ 7月27日[日]15:00-16:00
  「早田文藏による台湾と富士山の植生と遷移」支倉千賀子
       (東京農業大学農学部・非常勤講師)
⑥ 8月10日[日]15:00-16:30
  「富士山亜高山帯の森林遷移と早田文藏の[動的分類学説]」中村俊彦
       (東京大学大学院・農学特定支援員)
⑦ 8月24日[日]15:00-16:30
  「早田植物学と台湾」大場秀章(東京大学・名誉教授)

入場無料
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早田文藏(1874-1934)は、新潟県出身の植物学者です。1904年から亡くなるまで東京帝国大学(現 東京大学)に奉職し、附属植物園(通称 小石川植物園)の第3代園長を務めるとともに、富士山や台湾、東南アジアの植物に関する研究を進めました。特に台湾の植物に関しては、1600種を超える植物に命名し、「台湾植物学の父」とも称せられます。早田はオーソドックスな分類学的研究だけではなく、植物の群落遷移や分類体系、あるいは内部形態などに関する独自の学説を提唱しました。しかし、早田の学説は当時の日本の学者や学会から好意的な評価を得ることはありませんでした。
本特別展では、異端の植物学者とされる早田文藏が残した資料を提示しながら、早田の生涯と業績を紹介するとともに、早田の思想が現代の生物学に示唆する意義について考察したいと思います。タイトルの「FORMOSA」は、「台湾」を指すと同時に、ポルトガル語で「美しい」という意味です。早田文藏の紹介をするのに良い言葉と考えました。

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[ 詳 細 : 東京大学総合研究博物館

【展覧会】武蔵野市立吉祥寺美術館|企画展 宮本典刀 ― 街の記憶 ―|’25年4月12日-6月1日|終了

武蔵野市立吉祥寺美術館
企画展 宮本典刀 ― 街の記憶 ―
会  期  2025年4月12日[土]- 6月1日[日]
休  館  日  4月30日[水]、5月28日[水]
開館時間  午前10時00分 - 午後7時30分
入  館  料  一 般 300円、中高生 100円、小学生以下・65歳以上・障がい者のかたは無料
会場案内  武蔵野市立吉祥寺美術館
      〠 180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目8番16号 FFビル7階
      電話:0422-22-0385 ファクス:0422-22-0386 ▷ 交通・アクセス  
主  催  武蔵野市立吉祥寺美術館(公益財団法人 武蔵野文化生涯学習事業団)
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 どこかにある、どこでもない、街の風景―

銅版画家・宮本典刀-みやもと のりわき-は、いわく「心のなかに沈んでいる記憶」を丁寧に拾いあげ、それらを再構築して、街の風景を描いています。
宮本は、旅先で、あるいは日常生活の延長で、大通りから人目につかない裏路地にいたるまで、長い時間をかけて、街を歩きまわります。その間、スケッチブックをひろげて写生をしたり、メモを取ったりすることはありません。彼はひたすら歩きつづけ、光や色、肌に触れる空気、におい、音など、街をかたちづくっている要素を、そのままに、心身に受けとめてゆきます。そして、宮本のうちに集積した街のさまざまな「記憶」は、切妻屋根の家々、煙突や橋といった、人間の暮らしを暗示する構造物のかたちをとって、描きだされます。

宮本の画面は、微細かつ均質な粒子によってあらわされたアクアチントの色面を、彼のきわめて精密な技術をもって構成することで成立しています。いわゆる写実からは遠いところにあるフラットな表現は、私たちを個の特定から解き放ちます。どこでもない風景のなかで、私たちは自身の心奥に眠る「記憶」との邂逅をはたし、私たちを私たちたらしめているものと、向き合うことになるのです。
また、音楽との関係性も特筆すべき点です。宮本は日ごろから多彩な音楽に触れ、とりわけスペインやポルトガルの民族音楽、またF.モンポウやR.シュトラウスなどの楽曲を愛聴し、ときに音楽から着想した画題も生まれます。とはいえ彼は、音楽との結びつきを殊更に意識しているわけではありません。「色をみると音が聴こえる」「音がみえる」とは宮本のことばですが、たとえば絵画作品などを鑑賞する際にも、そこにおのずと音を感じとるといいます。
本展は、宮本典刀の作品を個展として紹介する、美術館では初めての機会です。宮本がアクアチントの色面によって街を描き始めた1999年以降の作品を中心に、最初期作と最新作を含む約70点を展観します。
あらゆる情報が瞬時に過ぎ去ってゆくばかりのいま、私たちが見失った「記憶」はどれほどあるでしょうか。宮本の作品をとおし、それらとふたたび出あうことができるかもしれません。

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[ 詳 細 : 武蔵野市立吉祥寺美術館

【展覧会】足利市立美術館|橋口五葉のデザイン世界|’25年4月5日-5月18日

足利市立美術館
橋口五葉のデザイン世界
会  期  2025年4月5日[土]- 5月18日[日]
      * 作品保護のため一部展示替えがあります
開館時間  午前10時 - 午後6時(入館は午後5時30分まで)
休  館  日  月曜日(5月5日をのぞく)、4月30日、5月7日
観  覧  料  一 般 1000円 / 大学・高校生 700円 /中学生以下無料
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
会場案内  足利市立美術館
      〠 326-0802 栃木県足利市通2丁目14ー7
      電 話 0284-43-3131 / Fax 0284-43-3133  ▷ アクセス 
監  修  岩切信一郎
企画協力  一般社団法人インディペンデント
主  催  足利市立美術館
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橋口五葉(1881-1921)は、我が国の書籍装幀や新板画の先駆者として知られています。1881(明治14)年、鹿児島に生まれた五葉は1899(明治32)年に上京、白馬会研究所を経て1901(明治34)年に東京美術学校(現・東京藝術大学)で学びます。
東京美術学校在学中に、兄・貢の紹介で夏目漱石と知り合い、1905(明治38)年には漱石の小説家デビュー作である『吾輩ハ猫デアル』の装幀を手掛け、一躍注目を浴びることとなります。五葉にとっても装幀家としてのデビュー作でもあり、漱石の意を汲んだ装幀に仕上げました。
漱石の信頼を得た五葉はその後も『三四郎』、『それから』、『門』をはじめとする数多くの著作の装幀を手掛けてゆきます。漱石のほかにも、「日本の本をもっと美しくしたい」という想いのもと、泉鏡花をはじめとする日本近代文学を代表する様々な作家の装幀を手掛けました。日本に書斎文化が根付こうとしていた時代に、颯爽と登場して人気を博したのが、五葉の装幀だったのです。
五葉は、新板画において新たな表現を追求した側面が強調されがちではありますが、三越のポスターをはじめとする商業グラフィックも手がけており、グラフィックデザイナーとしても数多くの仕事を残しています。
本展では、こうした橋口五葉のグラフィックデザインを、夏目漱石をはじめとする書籍の装幀を中心にご紹介します。
41 歳の若さで没した五葉が手掛けた様々な領域の作品も併せてご覧いただくことで、五葉の豊かなデザイン世界をご紹介する展覧会です。

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[ 詳 細 : 足利市立美術館 ] 

【展覧会】府中市美術館|橋口五葉のデザイン世界|’25年5月25日-7月13日|巡回待ち遠しいですね|

☆ Art 瓦版 掲載図版のほとんどは図版をクリック or タップすると拡大表示されます ☆

府中市美術館
橋口五葉のデザイン世界
会  期  2025年5月25日[日]- 7月13日[日]* 一部作品の展示替えを行います。
           前 期:2025年5月25日[日]- 6月15日[日]
           後 期:2025年6月17日[火]- 7月13日[日]
休 館 日  月曜日
開館時間  午前10時 - 午後5時(入館は 午後4時30分 まで)
会場案内  府中市美術館 Fuchu Art Museum   2階 企画展示室
      〠 183-0001 東京都府中市浅間町1丁目3番地(都立府中の森公園内)
      電話:042-336-3371(代表) e-mail:bijyutu01☆city.fuchu.tokyo.jp
お問合せ  050-5541-8600(ハローダイヤル)
観  覧  料  一 般 800円、 高校・大学生 400円、 小・中学生 200円
      * 府中市内の小中学生は「府中っ子学びのパスポート」で無料。
      * コレクション展もご覧いただけます。
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
同時開催  コレクション展 「明治の彩り」ほか 府中市美術館 2階常設展示室/
      「橋口五葉のデザイン世界」観覧券でご覧いただけます。
      公開制作92 栗原一成 府中市美術館 1階公開制作室/観覧無料
主  催  府中市美術館
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橋口五葉といえば、女性の美しさを柔らかく表現した版画で世界的に知られています。けれども、五葉の手がけた仕事はそれにとどまりません。書籍の装幀やポスター、洋画や日本画とジャンルを超えて多彩に活躍しました。
五葉の仕事の出発点には夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』の装幀があります。漱石は古美術から同時代の英国美術にいたらるまで、美術に深い知識と関心を持ち、自らの小説にも数多くの美術作品を登場させています。五葉は美術学校在学中から漱石と交流を持ち、漱石に認められてその著作の装幀を手掛けるようになります。本展では日本の書斎空間を美しく彩った五葉装幀の世界を、50点近くの書籍によりご紹介します。
装幀に見られる職人との協業や素材へのこだわり、画面を花々や小動物のモチーフで埋め尽くす華やかな装飾性は、その後の絵画や版画の仕事にも息づいていきます。同時代のヨーロッパの美術潮流であるアール・ヌーヴォーと、琳派や浮世絵などの日本の伝統。それらが、五葉の美意識のもとに融合し、唯一無二の作品世界を生み出しているのです。
本展では、装幀を出発点として五葉の全仕事をご覧いただくことで、装飾や美術という枠組みを超えた橋口五葉の豊饒なデザインの世界をご堪能いただきます。

> 橋口五葉(はしぐち・ごよう、1881-1921)<
1881(明治14)年、鹿児島市に生まれる。1899(明治 32)年に上京、当初日本画家の橋本雅邦に人門するが、同郷の黒田清輝の勧めで洋画に転じ、白馬会洋画研究所を経て翌年東京美術学校に入学。長兄・貢を介し夏目漱石と知り合い、『吾輩ハ猫デアル』の装禎を手がける。その後も日本近代文学を代表する作家の装禎を次々と手がけた。1907(明治40) 年東京勧業博覧会に油彩画による屏風絵《孔雀と印度女》を出品し二等賞、第一回文展に《羽衣》が入選。1911(明治44)年には三越呉服店の懸賞に応募し《此美人》が一等に選ばれる。その後、自身の浮世絵研究に基づき新板画の制作に取り組み、《髪梳ける女》などの傑作を生み出した。1921(大正10)年41歳で病没。

> 展覧会構成 <
◆ 第1章 『吾輩ハ猫デアル』
夏目漱石は小説家としての出発点である『吾輩ハ猫デアル』を世に出すにあたり、美しい本を出したいとの願いを持っていました。五葉はこれまでになかった装幀でこの願いにこたえ、今でも日本の近代装幀史に大きな足跡を残す名作が誕生しました。
◆ 第2章 五葉と漱石
五葉と漱石の交流は俳句雑誌『ホトトギス』から始まります。『ホトトギス』に新風を吹き込んだ五葉の挿絵の数々、さらに漱石との関わりから生まれた装幀の数々をご紹介します。青磁を思わせる色合いの表紙に鉄線の模様が浮かぶ『鶉籠』、表紙に漆塗りを施した『草合』から、スエードが装幀に用いられている『行人』まで、五葉が手掛けた漱石本が一堂に会します。
◆ 第3章 五葉装幀の世界
五葉はブックデザインという言葉もまだない時代に先駆的な仕事を残しています。今見ても新しい、華やかなデザインで包まれた泉鏡花の著作の数々。表紙や見返しだけでなく、本文にまで装飾が施された『浮草』。本を立体としてとらえた五葉の装幀は、手のひらに収まる小さな世界に美しさが凝縮されたものとなっています。
◆ 第4章 五葉の画業
鹿児島で日本画を、さらに東京美術学校で西洋画を学んだ五葉は、それらを吸収して新たな表現を追究していきます。油彩で描かれた衝立形式の《孔雀と印度女》や、装飾的な花鳥イメージあふれる《黄薔薇》などの絵画作品はそうした探求の成果が結実したものです。
石販を三十五度刷り重ねた非常に贅沢なポスター《此美人》、絵葉書や雑誌といったグラフィックの数々からは、五葉の華やかなデザインの世界が浮かび上がってきます。
◆ 第5章 新板画へ
五葉は自ら浮世絵の研究を重ね、さらに九州・耶馬渓への旅を契機に自ら版画を手掛けることとなります。生前制作された作品は13点と僅かながら、今でも美しい輝きを放っています。スティーヴ・ジョブズも愛したと言われる珠玉の作品の数々をご紹介します。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 府中市美術館

【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── 森鷗外『余興』|’25年4月2日

ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

森鷗外の『余興』です。
あらすじは、
義理で参加した宴会には当時人気の浪曲師の舞合が用意してあった。
鷗外は浪曲を好まない。我慢して聞いていたが徐々にいらいらが募ってくる。
やっと終って拍手しているところを見た藝妓が「面白かったでしょう」と
話しかけてきたことで、さらに気分が悪くなる……。
────────────────
今回も布装にしました。
気に入った柄に出会えた時はうれしいものですが、
歪みを修正したり図柄のいい部分を使うところまで気がまわりません。
制作方法も少し変えて、なるべく開きやすい作りを目指しましたが、
まだまだ道は遠いです。

【 詳 細: ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】

古記録発掘【花筏 朗文堂-好日録005】ラファエル前派からウィリアム・モリス、ジョン・ラスキン|ラファエル前派兄弟団 PRG のこと|’10年12月21日|少少補修’25.4.10

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朗文堂-好日録
ここでは肩の力を抜いて、日日のよしなしごとを綴りたてまつらん
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★ 忙中に閑あり 美術館巡りのこと───
ひとなみに年末バタバタ騒ぎの渦中にある。そんなことを綴っても面白くない。だから忙中に閑ありて、美術館のこと。

このごろはなかな良い美術館があちこちにできた。東京の美術館はチマチマ、コセコセ、混雑しているので、いささか敬遠気味。でかいビルのこちらのワン・フロアが美術館です、といわれても味気ない。

だから最近はチト遠出をして(新宿から電車一本、バス一回)、宇都宮美術館がお気に入り。関東平野、ここにつきたか ─── といった小高い丘のうえにある。ともかく緑ゆたかな景観がよい。天井がたかくてゆったりした建物もいい。それが宇都宮美術館である。
ここは展示スペースが広く、ごちゃごちゃした美術館のように、作品がくっつきあって、たがいに視覚に干渉することがない。また、ここのカフェのランチは、地元の食材を使って新鮮で旨い。そして帰りがけに、駅前でのんびりと、名物のでっかい餃子をたらふく楽しむ。

★ 横須賀美術館にて《ラファエル前派からウィリアム・モリスへ》を展観する
2010年12月18日[土]、勇気をふるって横須賀にでかけた。横須賀には30年ほど前に一度いった。やたらと制服のヘイタイさんがおおくて辟易した。それ以来である。

もともと「制服」がおおいに苦手である。制服・制帽の着用を義務づけられた高校入学式の前夜、ひたすら制帽の芯(ただのボール紙だった)を全部ぬいて、禅宗坊主のズダ袋のようにした。
なにぶん高校は、鈍くさい、田舎の元旧制中学だったから、一応(甘かったけど)制服・制帽の着用が義務づけられていた。まして、お粗末なことに、「風紀委員」などという、時代錯誤、勘違いの輩ヤカラがいて、翌朝に新入生指導と称して、肛門 モトイ 校門の前で服装チェックをしていた。

トンチンカンを相手にするのは面倒だから、鞄から苦心の「ズダ袋」を取り出して、頭にひっかぶって、
「おはようございま~す。ご苦労さまで~す」
と通り抜けた。それでもけしからん一年生だと、すぐさま風紀委員からの呼び出し。(軟弱で硬直した風紀委員なぞは衆を頼むから)大勢に取り囲まれたが、
「わが校の校則に、質実剛健 シツジツゴウケン、和衷協同 ワチュウキョウドウ、至誠一貫 シセイイッカンとありました。質実剛健を体現するべく斯様 カヨウにいたしました。ナニカ?」
といって退かなかった。

これですっかりトンチンカンから目をつけられたが、ひとつきもたつと、たれもとがめなくなった。べつに制帽などという暑苦しいものをかぶる必要はないだろう。できるだけ自由人でありたいし、等身大でスッと立っていたいものだ。ところで風紀紊乱 ビンラン なることばもあったな。忘れていた。
しかし、暑くも寒くもない4月、それも若いうちから帽子などをかぶっていると、将来の毛髪の消長に甚大な影響があろうというものだ。そんなものなのだ、風紀なぞとは、所詮。

いまだにこの制服嫌いは徹底している。バスやタクシーの運転者の制服くらいなら反応しないが、ホテルの黒服などには過敏に反応する。客にはくそ丁寧をよそおいつつ、慇懃かつ無礼きわまるからである。こんなのに限って、同僚のベルボーイやウェイターには居丈高であったりする。
ときとして、トンチンカンにとっての制服とは、なにか、おのれはたれかより偉いト、愚かにも勘違いさせたりする。これが階級章をつけた制服の警察官や自衛官であると、もうそれだけで吾輩のアレルギーは危険水域にはいる。それが元となって、ずいぶん埒 ラチ もない、語るに落ちる、つまらない経験をした。それでもこのアレルギーだけは現在進行形、症状はますます重篤なのだ。

ところで横須賀。横須賀美術館《ラファエル前派からウィリアム・モリスへ》展覧である。
本展の図録を新宿私塾修了生Hさんが担当。ご案内もいただいたので気になっていた。しかし横須賀は制服アレルギーの発作がこわかったので逡巡していた。それでも会期終了が近づいたし、雲一点もなき快晴だし、行くか ! 
てっきり東京駅から古ぼけた横須賀線に乗って、チンタラ横須賀までいくものだとおもっていた。ところがノー学部が Website で調べた、分刻みの路線案内にしたがって、地下鉄でいく。どこかでそのまま京浜急行に乗り込んだようだが、ともかく新宿から地下鉄に乗って、乗り換え1回で京急馬堀駅に降り立つ。道中居眠りしていたせいもあって浦島太郎よろしくよくわからない。

ナント! 目が覚め、降り立った地下鉄 モトイ 京浜急行の馬堀海岸駅の眼前には、眩いまでの海が広がっていた。吾がふるさと信州信濃には海が無い。だから吾輩を含む信州人にとって、海は永遠の神秘(であるはず)。まして地下鉄に乗って居眠りを続けてきたから、地底から救出された銅鉱山の鉱夫のように、この衝撃はまぶしく大きい。

バスでチョイ、横須賀美術館に着く。景観に感激。海を借景にしたというとなにか変だが、海と山にはさまれた素晴らしい眺望だった。
まずは海を堪能しながら、ギャラリー・カフェでランチをとる。プチ贅沢をゆるす。写真はまた失敗したので、同館パンフレットのものを紹介。‘10年12月18日[土]は一点の雲もない、あっぱれ日本晴れだったのだが。
これでデジタルカメラの操作マニュアルなどという、技術屋の記述による、無味乾燥、これがわが国語かという、妙な文章にあふれた七面倒なものをみないで、撮影技術が伴えば鬼に金棒だ!

ここのところ、ジョン・ラスキン(John Ruskin 1819-1900 イギリスの芸術批評家・社会思想家)と、ラファエル前派との関連を折りに触れて調べていた。例のアーツ・クラフツ運動の理論的指導者として、この人物の存在が無視できなかった。それにしては翻訳書からの理解は歯がゆいものがあった。
だから横須賀美術館で、愛読書の『建築の七灯』『この後の者にも』の原著(ガラスケースに入っていたけど)を見たり、ラスキンの自筆のスケッチを見られたのには興奮した。
[この大聖堂のスケッチは、批評家というより、もはや素描家だな。ラスキンめ、なかなか巧いじゃないか]トおもう。

ただし、若きエリート画家(無謀で反抗的だったけど)が結集した、ロイヤル・アカデミー(王立美術学校)出身の、「ラファエル前派兄弟団  P R B」という若い画家集団の絵画(とりわけ第一世代、20代前半の作品)は、どこか意識過剰で、生硬で、消化不良をおこしているようで、少々辛かった。
また主題を構成する部分より、周辺細部の草花やら道具やらの、なにやら一見暗示的(神秘的?)な仕掛けばかりが目について、主題が散漫になっていた。
[ラスキンの奴メ、若けぇ画学生どもを、うまく煽ったな]── トおもった。

★ラファエル前派兄弟団 P R G
いまから160
年ほど前のことである。1848年09月、ロンドンの片隅に6人の画家と1人の作家が集まった。年齢は18歳から20歳、意欲と能力はあったが、まだまだ未熟、発展途上の造形者であった。中心メンバーは、ジョン・エヴァレット・ミレー(1829-96)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-96)、ダンテ・ガブリエル・ロセッテイ(1828-82)らであった。

かれらは当時のイギリス画壇の潮流を、大胆不敵、一刀両断のもとに斬り捨てて、「ラファエル前派兄弟団 P R B-Pre-Raphaelite Brotherhood」と名乗った。その構成員の名前はしばらく内密にされ、作品にはただ「P R B」とだけしるされた。
[このあたり、悪戯半分で、中世アルチザンの秘密結社を真似たのかな?]
トすこしばかりおもう。

さらに大胆にも「ラファエル前派兄弟団」は、イタリア・ルネサンス期の巨匠、ラファエル(Raffaello Santi  1483-1520 ヴァチカン宮殿の壁画、サン-ピエトロ大聖堂の建築監督、ラファエロとも)をもっとも唾棄すべき存在として否定した。かれらはラファエルに代表される、ルネサンスよりも前の時代、すなわちそれまで暗黒の時代とされていた「中世」を賞揚すべき存在とした。
これはまた同時に、イタリア・ルネサンスを否定して、中世復古、ゴシック・リバイバルを意味することにつながった。乱暴に解釈すれば、秘技・秘術・錬金術バンザイでもあった。

そんなかれらが作品を発表すると、当然世上は辛辣な批判にあふれ、無理解のおおきな壁に突き当たった。もちろん異端は異端であるだけでは注目されない。「ラファエル前派兄弟団」にはそれだけの(批判をあびるほどの)理論構築と技倆がともなっていたということだ。
そのとき批評家ラスキンは、むしろ積極的に、この暴走族にも似た、無謀な若者のグループを支持したが、さすがにその「ラファエル前派兄弟団」の名前を「いささか滑稽な」と評した。
しかしながら19世紀の中葉、停滞した英国ヴィクトリア王朝美術の復興は、無謀で大胆な、美術学校の学生運動ともいえる、若者たちの破壊的な挑戦からはじまったことだけは特記されてよい。
─── それにしても現代の若者は「よゐこ(ぶった)」が多いとおもう。若者は生意気で、挑戦的であって良いのだ。そして老人はやかましくて、口うるさくて良いのだ。─── 話柄がそれた。戻りたい。

「ラファエル前派第二世代」とされるのが、画家のエドワード・バーン・ジョーンズ(1833-96)、ウィリアム・モリス(1834-96)である。このふたりはロイヤル・アカデミー(王立美術学校)の学生が中心だった第一世代とは異なり、オックスフォードのエクセター・カレッジに入学し、神学を学んだ。ふたりを結びつけたのは中世文化への傾倒だったが、その後急速にキリスト教社会主義と、ラスキンの社会思想の影響を受けるにいたった。

ジョーンズとモリスにいたって、あまりに教条主義的だった「ラファエル前派兄弟団」の写実性は、穏当なアルチザン(技芸者)とアーチスト(工芸者)のものへと変容を遂げた。かれらはまた書物と活字にも目を向けた。ここからはすでに語り尽くされ、わが国では「◯リス神話」まであるので割愛。

吾輩、すっかり若者の熱気にあおられ、久しぶりに血が熱くなった。展観を終えて、外に出ると、はや日はどっぷり暮れて満天の星。汽笛がボーッと鳴る。ほぼ桃源郷に遊ぶこころもち。
お腹がすいたので、走水神社前の和食店 ── というよりふるぼけた食堂に飛び込む。これがまた !! いいんですねぇ! ことばを失うほどのうまさ。そして安いときているから、いうことなし。

老店主は漁士で、息子夫婦が地魚の食堂を経営しているようだ。ピチピチのアジの刺身、サザエ、地タコ、ナマコを食す。いうことなし。美術と美食で満腹であるぞ。そういえば「美食同源」だったな、イヤ「画文同源、画文一致、そうか医食同源」だったかな? もはやなんでも良いぞ。旨かったから。

おお、忘れるところだった。
同館所蔵品特集《藤田 修 ── 深遠なるモノローグ》が常設展示場の一室で開催されていた。ここではじめて藤田修なる版画の異才を知った。とりわけフォトポリマー・グラヴェール技法と、レタープレス(活版)による「生まれるのに時があり」の作品に凍りつく。
「版画よ、額縁から脱出せよ!」「活版印刷よ、額縁にとりこまれるな!」── と念じている吾輩にとって、まさに欣快、ポンと膝を叩いて、やったな! の作品であった。
「やっぱりいたか。こんな造形者が、わが国にもな~」
のおもい。図録を 2 冊買って帰りの電車でみていたら、ナント! こちらの図録のデザインは、これまた新宿私塾修了生Mクンだった。みんなあちこちで大活躍しているなぁ。トいたく感激。

《ラファエル前派からウィリアム・モリスへ》は12月26日まで。23日(天皇誕生日)と、この週末の休みもある。その気になれば新宿から1時間半。荒らされるからあまり教えたくないが、美術館から徒歩 5 分、走水神社バス停前(行けばすぐわかるはず)には、新鮮・旨い・安い(店主夫妻は無愛想だし、チトきたないけどネ)、地魚食堂つきの旅である。図録は二点ともとてもすばらしかった。できたらつぎの週末、再度いきたいものである。
’10
年12月18日[土]、一点の雲無き快晴。21日[火]重い雲がのしかかる。曇天なり。日日之好日也

【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|’25年3月31日

「平野富二生誕の地」碑  建立有志の会 「現:平野の会」 ── 皆さま
[2025年3月31日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]

ご無沙汰しております。
毎年恒例の「平野富二生誕の地」碑と桜の写真を数枚添付いたします。
記念碑の周辺の変容はさらに次のステップに入りまして、長崎市役所別館(江戸時代の長崎奉行所桜町牢屋)は現在解体作業の真っただ中です。工事は2年がかりで、駐車場&公園機能を兼ねる場所として整備されていくそうです。
石碑の文字ですが、脇の小さな文字は大丈夫ですが、表面の深く彫られた文字に塗られた黒墨は、部分的に少し色を失いつつあります。全体としてみるとまだ気になるほどではありませんが。
寒暖差が激しい気候が続いております。みなさまご自愛くださいませ。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9- 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。碑は江戸時代の三の堀跡の方向(段差の下部)をむいていますが、ここは現在桜並木になっています。
宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が、幼少にして次男ながら「特例をもって」、また当時のならいで大刀・小刀を帯刀し、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても七-八分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。

本稿読者の皆さまも、長崎訪問の折はぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

【 参 考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 】
 関 連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア

【展覧会】女子美術大学美術館|女子美アートミュージアム|2025年度 女子美の先達たちと女子美染織コレクション展 春の装い|’ 25年3月25日-4月28日|終了

女子美術大学美術館
女子美アートミュージアム 2025年度
女子美の先達たちと女子美染織コレクション展 春の装い
会  期  2025年3月25日[火]- 4月28日[月]
時  間  10:00ー17:00(入館は16:30まで)
休  館  日  日曜・祝日休館、大学の一斉休業日
会  場  女子美アートミュージアム
      〠 252-8538 神奈川県相模原市南区麻溝台1900
             女子美術大学 相模原キャンパス10号館1階 ▷ アクセス
      TEL 042-778-6801   FAX 042-778-6815   E-mail-bsk☆venus.joshibi.jp
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✿ 女子美アートミュージアム
女子美術大学相模原キャンパス内にある展示施設。
相模原市の豊かな自然と美術が融合する環境で市民との交流を深め、地域社会の人々に親しまれる美術館を目指しています。年間6本程度の企画展をはじめ、講演会やギャラリートーク、ワークショップなどの教育普及活動も行っています。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 女子美術大学美術館 ]

【展覧会予告】大阪大学総合学術博物館|特別展 生誕100周年記念 松本奉山 ー 水墨画で世界を描くー|’ 25年4月26日-6月28日

大阪大学総合学術博物館
特別展  生誕100周年記念
松本奉山 ー 水墨画で世界を描くー
期  間  2025年4月26日[土]- 6月28日[土] * 会期内に展示替を予定。
会場案内  大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館 3階 多目的室
      〠 560-0043 大阪府豊中市待兼山町1-20
      Tel 06-6850-6284(10時30分-17時00分/日・祝休館) ▷ アクセス
時  間  10時30分 - 17時00分(最終入場16時30分)
休  館  日  日曜・祝日休館。ただし、5月3日[土・祝]は「いちょう祭」のため開館
協  力  今治城、大本山摩耶山天上寺、松本奉山水墨画会、
      大阪大学大学院人文学研究科、大阪大学文学部
主  催  大阪大学総合学術博物館
入場無料
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松本奉山(1925-2010、本名:松本由美子)は、水墨画で世界を描いた女性の画家です。大正14年(1925)愛媛県今治市に生まれ、昭和13年(1938)神戸市灘区に移り住み、17歳で松本尚山(1886-1970)の内弟子となり、厳しい指導のもと鍛錬を積みました。
最初、油絵志望であった奉山は「水墨画で自分の描きたいものが描けるのか」という葛藤を抱えていましたが、昭和38年(1963)の初渡米をきっかけに新たな画境を切り開き、前例のない水墨画を作り上げました。その後も、オーストラリア、ニュージーランド、ヨーロッパ各国、ブラジル、トルコなどで個展や席上揮毫を行い、世界をまたにかけて活躍しました。一方で、兵庫や琵琶湖、故郷の瀬戸内海など、日本の静かな風景に心を惹かれ連作を発表しました。
本展覧会では、奉山の初期から晩年にいたるまでの作品、スケッチブックなど、およそ100点を展示いたします。そのなかには、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災で全壊した奉山の画室から救い出された資料も含まれています。今年は奉山の生誕100年であると同時に、阪神・淡路大震災から30年になります。この節目の年に、これまで未紹介であった作品を展示公開することで、奉山の功績を後世へ引き継ぐことができれば幸いです。

<展示構成(予定)>
◇ 序章 美山から奉山へ ―厳しい修行時代―
◇ 1 章  HOZAN開眼 ―世界へ羽ばたく水墨画―
◇ 2 章  静かな風景に心惹かれて ―日本美の再発見―
◇ 3 章  奉山芸術の到達点 ―墨色が奏でる最弱音(ピアニッシモ)―
◇ 終章 受け継がれる奉山の教え

下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 大阪大学総合学術博物館 ] 

【展覧会】京都市立芸術大学芸術資料館|herstories — 女性の視点でたどる美術史|’25年3月20日-5月25日|終了

京都市立芸術大学芸術資料館
herstories — 女性の視点でたどる美術史
会  期  2025年3月20日[木・祝]- 5月25日[日]
休  館  日  月曜日休館 * ただし 5月5日は開館、5月7日休館
開館時間  10:00 - 17:00
会場案内  京都市立芸術大学芸術資料館
      〠 600-8601 京都市下京区下之町57-1
      電 話 075-585-2008 FAX 075-585-2018 ▷ 交通・アクセス
主  催  京都市立芸術大学
観覧無料
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「herstories — 女性の視点でたどる美術史」は、京都市立芸術大学初の女性学長である赤松玉女の退任を記念し、女性の視点から美術史を再解釈する試みです。これまで男性中心で語られてきた美術史の中で、女性芸術家や教育者たちが果たしてきた役割に焦点を当て、多様な社会的・文化的背景を浮かび上がらせます。
本展では、赤松玉女を中心に、京都芸大の歴代女性教員たちの作品や教育活動を紹介し、彼女たちが紡いできた「herstories」(女性の物語)を描き出します。さらに、現代におけるジェンダーや多様性に関する対話を促進し、新しい美術史の構築を目指す場を提供します。

◇ 展示構成 ◇
本展では、芸術資料館の豊富なコレクションを中心として、一部借用作品も交え、本学の名誉教授、教員による作品に注目しながら、女性芸術家の表現の多様性を紹介します。
◇ 出品予定作家
赤松玉女  AKAMATSU Tamame
秋野不矩  AKINO Fuku
上野リチ  Felice [Lizzi] RIX-UENO
大串佐知子  OGUSHI Sachiko
重松あゆみ  SHIGEMATSU Ayumi
谷澤紗和子  TANIZAWA Sawako
唐仁原希  TOJINBARA Nozomi
ひろいのぶこ  HIROI Nobuko
◇ 関連行事
展覧会期間中、女性芸術家の活動とその意義を考察するため、
多様なイベントを実施します。

>京都市立芸術大学芸術資料館<
京都市立芸術大学芸術資料館は、平成3年(1991)京都市立芸術大学に設置された大学博物館で、美術系博物館に分類されます。博物館法第29条による博物館相当施設の指定を受けており、本学の博物館実習の受入施設となっています。
収蔵品は、学生の卒業作品と旧教員の作品及び美術工芸に関する参考資料で、明治13年(1880)に開校した京都府画学校以来の140年を超える歴史を受け継ぎ、写生や粉本を含めた総数は約4,300件に上ります。学内での教育活動はもとより、陳列室での一般公開や、展覧会への貸出しなどによって、広く利用に供しています。陳列室は大学C棟1階にあり、学年暦に応じて年間120日以上展示を行います。
京都と本学の歴史に根差した調査研究活動を通じて、積極的に作品と関連資料の収集を行い、近世から現代に至る貴重な資料の保存機関として、また市立の芸術大学としての責務を果たすため、社会への還元をめざしています。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 京都市立芸術大学芸術資料館
[ 参 考 : 文化庁 博物館法の一部を改正する法律(令和4年法律第24号)について ]

【ニュース&プレスリリース】モリサワ OPENType フォントの共同開発で株式会社写研と合意|2021年01月18日

2021年01月18日
モリサワ OpenTypeフォントの共同開発で株式会社写研と合意
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株式会社モリサワ(代表取締役社長:森澤彰彦 本社:大阪市浪速区敷津東2-6-25、以下モリサワ)は、 株式会社写研(代表取締役社長:笠原義隆 本社:東京都豊島区南大塚2-26-13、以下写研)の保有する書体を、両社共同で OpenType フォントとして開発することに合意しました。

写研の書体は、幅広いバリエーションと洗練されたデザインが特徴で、専用のシステムを通じて多くの媒体で利用されています。この度の OpenType フォント開発を通じ、より幅広い用途でご利用いただけるよう両社で取り組みます。
フォントは2024年より順次リリースする予定です。2024年は、写研の創業者である石井茂吉氏とモリサワの創業者である森澤信夫が、写真の原理で文字を現して組む邦文写真植字機の特許を、1924年に共同で申請して100周年の節目にあたります。

今回の取組みについて両社の代表は次のように述べています。

株式会社写研 代表取締役社長 笠原義隆 氏
「共に邦文写真植字機を世に送り出したモリサワ社と共同事業を開始できることに、深い感慨を覚えます。 今後写研書体がより多くの皆様にご利用いただけますよう、鋭意努めてまいります。」

株式会社モリサワ 代表取締役社長 森澤彰彦
「邦文写真植字機発明100周年に向けて、両社共同でフォントを開発できることを心から嬉しく思っています。長年にわたって愛される写研の書体をこれからも多くの皆様にご利用いただけるよう、グループ一丸となって誠心誠意取り組んでまいります。」

フォントのラインナップやご提供形態は今後随時ご案内します。

◯ 本件に関するお問合せ
株式会社モリサワ 東京本社 経営戦略部 広報宣伝課

[ 詳細 : 株式会社モリサワ

{新宿餘談}
本稿は、論評無しで紹介いたします。

【展覧会】日本デザインコミッティー|第770回デザインギャラリー1953企画展|粟辻 博のテキスタイル|’21年1月27日-2月22日

日本デザインコミッティー
第770回デザインギャラリー1953企画展
粟辻 博のテキスタイル
期  間  2021年1月27日[水]-2月22日[月] 入場無料・最終日午後5時閉場
時  間  午前10時一午後8畤 松屋銀座営葉時間
会  場  松屋銀座7階 デザインギャラリー1953
主  催  日本デザインコミッティー
協  力  AWATSUJI design、株式会社フジエテキスタイル
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京都西陣のDNAを根っこに持ちながら、鮮烈な色彩や多彩なパターンのテキスタイルを次々と生み出し、刺激と感動を与え続けた人、粟辻 博(1929-95)。
自らのデザインを、表層(サーフェス)のデザインと捉え、日常のテキスタイルに留まらず、空間との関係性に踏み込んだデザインや、現代アートへと交差しながら、1900年代後半の熱い時代を駆け抜けて、日本のテキスタイルデザインを革新し発展させた孤高の先駆者、粟辻 博 の、小さなスペースには収まりきれない回顧展です。                  展覧会担当:川上元美

[ 詳細 :  日本デザインコミッティー

【展覧会】根津美術館 |企画展 きらきらでん(螺鈿)|2021年1月9日-2月14日

根津美術館 企画展
きらきらでん(螺鈿)
会  期  2021年1月9日[土]-2月14日[日]
休  館  日  毎週月曜日 * 1月11日[月・祝]は開館、翌12日[火]は休館
開館時間  午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
入  場  料  一般 1300円、学生 1000円、中学生以下は無料
会  場  根津美術館 展示室 1・2
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輝く真珠層を持つ貝を、文様の形に切り抜き、嵌め込んだり貼り付けたりして装飾する技法、螺鈿(らでん)。「螺」は巻き貝、「鈿」は貝で装飾するという意味です。
アジア圏では漆工技法にも取り入れられ、主に夜光貝や鮑貝が用いられました。貝片の色は単なる白ではなく、内から放光するかのような青から赤のグラデーションのきらめきを持ちます。その貝と漆独特の美しい艶とで織りなされる世界は古来、人々を魅了してきました。
本展覧会では根津美術館の所蔵品を中心に、日本における螺鈿技術の受容と展開の歴史をたどりながら、中国大陸・朝鮮半島・日本・琉球の、きらきらの螺鈿の魅力をご堪能いただきます。

企画展「きらきらでん」は「COVID – 19」感染予防のため「日時指定予約制」で開催されます。
日時指定予約は、こちら から 
[ 詳細 : 根津美術館 ] { 活版アラカルト  まとめ }

【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── ライナー・マリア・リルケ『 駆 落 』森 鷗外(森 林太郎)訳

{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

森 歐外(森 林太郎)訳、リルケの「駈落」です。
「駈落」の筋は単純です。
交際を禁じられたアンナとフリッツは相談し
明日の朝、駅で待合せて二人でどこか遠くへ行くことにしました。
しかし時が近づくにつれてフリッツの気持は動揺してきました。

先日古書市で第一書房(長谷川巳之吉)の本をまとめて見る機会がありました。
だれかの蔵書で、表紙はすべてパラフィン紙がかけられ、
大切に所蔵されていたことが窺えました。
洋書のような凝った装丁は出版社のこだわりを強く感じさせるものでした。
印象が消えない内に今回の扉を作ってみました。(フーツラが太すぎますが)
作りながら、アナログの単純な色分けのなかに
久しく忘れていた、古くて新しい美しさがあることを感じました。
同時にそれを表現する技術が自分にないことも……。

◉ 杉本昭生のつぶやき:生の葱を囓ったような苦い味がする作品でした。(個人的な感想です)
◉ 吾輩のつぶやき: 京都吉田山山麓で製作に勤しむ杉本昭生さん。西のみやこ:京都盆地は、夏暑く、冬は冷えこみます。まして昨今の感染症「COVID – 19」感染予防の緊張のなかで、創作欲を保ち続けることだけでも敬服に価します。みやこの雪たよりとともに、活版小本新作が登場しました。

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【 詳細  ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ 

【会員情報】日比谷図書文化館 特別展|複製芸術家 小村雪岱 ~装幀と挿絵に見る二つの精華|’21年1月22日-3月23日

千代田区立 日比谷図書文化館 特別展
複製芸術家 小村雪岱  ~装幀と挿絵に見る二つの精華~
会  期  2021年1月22日[金]-3月23日[火]
休  館  日  2月15日[月]、3月15日[月]

観覧時間  月曜日-木曜日  午前10時-午後7時、金曜日  午前10時-午後8時、
土曜日  午前10時-午後7時、日曜日・祝日  午前10時-午後5時
* 入室は閉室の30分前まで

会  場  千代田区立 日比谷図書文化館 1 階 特別展示室
観  覧  料  一般 300円、大学・高校生 200円
主  催  千代田区立 日比谷図書文化館
監  修  真田 幸治(装幀家、小村雪岱研究家)
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大正3年9月、小村雪岱(こむら せったい)は、文豪・泉鏡花による書き下ろし小説単行本『日本橋』で、装幀家としてデビューします。鏡花の小説世界を愛した若き無名の日本画家は、その画号「雪岱」も鏡花によって授けられました。
以後、装幀家としてばかりでなく、挿絵画家としても後に「雪岱調」といわれる独自の画風で邦枝完二の新聞連載小説「おせん」などを手がけ、雑誌や新聞などの印刷複製物で活躍します。
さらには舞台装置家としての面も見せ、装幀、挿絵、舞台装置と三つの分野で才能をいかんなく発揮しました。

本展では日本画家という出自を持ちながら、装幀家、挿絵画家という職能で輝きを放つ雪岱の仕事に注目、特に挿絵画家としての仕事については、監修者・真田幸治氏の膨大な個人コレクションから、当時の雑誌や新聞を用いてふんだんに紹介します。
雑誌のページ全体を使って大胆にレイアウトする様など、印刷物を通した複製芸術家としての雪岱の世界をご堪能ください。

小村雪岱(こむら せったい)プロフィール
本名 安並泰助(旧姓小村)。明治20(1887)年、埼玉県川越市生まれ。明治41(1908)年、東京美術学校日本画科選科卒業。
大正3(1914)年、泉鏡花『日本橋』(千章館)の装幀を手がけ、以後、鏡花本のほとんどの装幀をまかされる。また、水上瀧太郎や久保田万太郎、里見弴、昭和にはいってからは邦枝完二や長谷川伸、子母澤寛ら、大衆小説作家らの著書の装幀を多く手がけている。
挿絵画家としては邦枝完二の新聞連載小説「おせん」や、「お伝地獄」で確固たる地位を築き、舞台装置家としては守田勘彌「忠直卿行状記」を嚆矢として、中村歌右衛門や尾上菊五郎の舞台の装置を多く手がけた。
昭和15(1940)年歿。昭和17(1942)年、『日本橋檜物町』『雪岱画集』(高見澤木版社)刊行。

◉ 展示構成
Ⅰ.【鏡花本】/Ⅱ.【新聞連載小説の挿絵】/Ⅲ.【雑誌の挿絵】/Ⅳ.【九九九会の仲間たちの装幀本】/Ⅴ.【資生堂意匠部】/Ⅵ.【大衆小説作家の装幀本】

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 千代田区立 日比谷図書文化館

【展覧会】文京区立森鷗外記念館|コレクション展|「拝啓、森歐外様 ― 歐外に届いた手紙」|令和2年12月4日-令和3年3月28日

文京区立森鷗外記念館
コレクション展「拝啓、森歐外様 ― 歐外に届いた手紙」
会  期  令和2年12月4日[金]-令和3年3月28日[日]
      Part 1 年賀状を楽しむ/12月4日[金]-1月24日[日]
      Part 2 文学者のたよりを読む/1月27日[水]-3月28日[日]
休  館  日  12月22日[火]、12月29日[火]-1月3日[日]、1月25日[月]、
      1月26日[火]、2月24日[水]、2月25日[木]、3月23日[火]
開館時間  10時-18時(最終入館は17時30分)
      * 2月14日[日]は20時まで開館(最終入館は19時30分)
料  金  一般 300円、中学生以下 無料
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文京区立森歐外記念館は、森歐外に届いた900通あまりの封書や葉書を所蔵しています。この中から選りすぐりの手紙を2期に分けて展覧します。
パート 1 では、差出人が自らデザインし趣向を凝らしたもの、新年の慶びをうたった詩歌が書かれたもの、賀詞が力強く墨書されたものなど、さまざまな年賀状を紹介します。川上眉山(小説家)、正岡子規(俳人)、寺崎廣業(日本画家)、谷崎潤一郎(小説家)ら40人の個性的な年賀状をお楽しみ下さい。

パート 2 では、文学者が鴎外に届けた手紙を読んでみましょう。執筆を依頼する尾崎紅葉(小説家)の封書や、執筆作品の訂正を伝える井上通泰(歌人)の葉書などからは、執筆者、編集者としての歐外の姿が見えてきます。
また、小山内薫(演出家)、上田敏(英文学者)、斎藤茂吉(歌人)の手紙は、写真や絵が印刷された絵葉書を用いて、文面以上のメッセージを伝えています。

歐外の生きた明治・大正期、手紙は用件を伝えるための主要な手段でした。歐外に届いた手紙を、記念館から皆さまにお届けします。知人や友人が鴎外の友人や知人が手紙に託した言葉を味わってみませんか。

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 文京区立森鷗外記念館 ]

【展覧会】大阪大学総合学術博物館|第23回企画展 日本のまなざしに映った中国|’ 20年10月31日-’ 21年1月30日

大阪大学総合学術博物館
第23回企画展 日本のまなざしに映った中国
会  期  2020年10月31日[土]-2021年1月30日[土]

会  場  大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館 ※入館無料
開館時間  11時-16時(入館は15:30まで)
休  館  日  日曜日・祝日・12月28日[月]-1月4日[金]
主  催  大阪大学総合学術博物館、国際日本文化研究センター
共  催  大阪大学大学院 言語文化研究科
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近代以降の日本人旅行者や研究者による中国各地の記録と表象(絵葉書・写真等)をテーマにした展覧会を開催します。国際日本文化研究センター所蔵資料および本学言語文化研究科と総合学術博物館教員の撮影した資料を活用し、戦前・戦後における中国各地の社会的変化、日本人の中国認識の変容、とりわけその間の両者の連続と断絶を検証し、戦前から現在へと至る記録・表象の変遷をたどります。

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を
[ 詳細 : 大阪大学総合学術博物館 ]

【展覧会】国文学研究資料館|企画展示「戦国武将たちの愛した文学 ― 幸若舞曲 ―」|令和2年11月4日-12月25日

国文研01

国文学研究資料館
企画展示「戦国武将たちの愛した文学 ― 幸若舞曲 ―」
会  期  令和2年11月4日[水]-12月25日[金]
      ※土曜日は北側通用口(正面玄関左手)よりお入りください。
開  室  日  「COVID – 19」予防対応実施中のため、当分の間、事前予約制となっております。
開室時間  午前10時-午後4時 ※入場は午後3時まで
場  所  国文学研究資料館1階 展示室
      問い合わせ先
      国文学研究資料館 連携企画・広報係
      TEL:050-5533-2910 FAX:042-526-8604 
主  催  国文学研究資料館
      入 場 無 料
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15世紀-17世紀に流行した幸若舞曲は、鼓を伴奏に謡い舞う語り物芸能です。軍記物を題材とした長編作品の語りを得意とし、それらは読み物としても人気を集めました。
本展では、当館が長年にわたり収集してきた幸若舞曲に関する古典籍を一堂に集め、公開いたします。

《主な展示品》 
★初公開となる貴重な写本も!
幸若舞曲五番五冊・幸若歌謡集一冊(神龍院梵舜-しんりゅういんぼんしゅん等による書写)
tenji_image1★物語を描いた鮮やかな絵巻や屏風もご紹介

『大織冠-たいしょかん』
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『義経奥州落絵詞-よしつね おうしゅう おちえことば』
(碧洋臼田甚五郎-へきよう うすだじんごろう-文庫)
tenji_image3※「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 国文学研究資料館 ]