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上掲展応援掲載【大水滸伝】北方謙三<大水滸伝>全51巻完結! 伝説も去りて、残るは物語のみ。君に語れ、漢オトコらの物語。

20160607224511857_0001 20160607224214284_00012016年05月16日、『岳飛伝 17 星斗の章』の公刊をもって、ついに北方謙三「大水滸伝」全51巻が完結した。十余年におよぶながいつき合いだった。『水滸伝』(全19巻)、『楊令伝』(全15巻)、『岳飛伝』(全17巻)である。
集英社の特設WebSite<大水滸伝>などは、この終巻をもって、嬉しいのか哀しいのかさびしいのか知らないが、阿鼻叫喚、まるでお祭り騒ぎである。

北方謙三の<大水滸伝>は、まず『小説すばる』に連載され、連載中に並行して四六判書籍が発行され、書籍刊行終了後に文庫版が発売されていた。
したがって北方謙三は版ちがいの発行のたびに文章に手をいれており、将来全集でも刊行されるなら、文庫版に記載されたものを定稿としてほしいとしばしばつづっている。

やつかれはといえば、ゴチャゴチャとした雑炊のような文芸雑誌は苦手なので、『小説すばる』はときおり立ち読みし、四六判書籍、文庫版は、ともに刊行直後に購入してきた。愛読書ではあるが愛書家ではないので、あちらの本棚、こちらの片隅と、未整理なまま山積みになっている。
この作家は、冗長と過剰をきらうので、四六判書籍のときすこしテンポが遅いな、とおもわれる箇所などは、文庫版となるとバッサリ切りすてられていることに驚いたこともあった。

司馬遼太郎(1923-96)が卒したころ、北方謙三は『楊家将』の連載中だったとおもう。
ほんとうに偶然だった。所在のないままなんとなく書棚から、ハードボイルド作家だとおもっていたこのひとの作品『楊家将』を取りだしたのがはじまりだった。ともかくダイナミックな中國歴史演義であり、登場人物のあしらいが鮮明で、読みやすかった。
のちに『楊家将』は吉川英治賞を受賞しているが、まさかそれから10年余におよぶ『水滸伝』『楊令伝』『岳飛伝』の<大水滸伝>シリーズにつらなり、ずっと付きあうことになるとはおもってもいなかった。

歴史を作るのは英雄だけじゃない。
歴史に名を残した武人から、人知れず消えていった民草まで。
ここにあるのは「人間」の物語だ。
駈けよ。──── 夢追いし者、永久に。
生きる。──── 去りし者のぶんまで。[集英社WebSiteゟ]

ともあれ、これから『岳飛伝』文庫版の刊行がはじまるとおもうが、やつかれとはほぼ同世代の北方謙三は<大水滸伝>51巻を完結した。この間やつがれはなにをなし得たかというと、若干忸怩たるものがある。
そこで、『岳飛伝』の主要な舞台のひとつ、岳飛の墓所がある杭州 (Hangzhou) を紹介しよう[撮影:同行二人 2011年09月]。
岳飛は北宋を滅亡させ、開封をみやことした金国(中國の友人は前金といふ。北京に建朝した清は後金といふ)に抵抗し、「盡(尽)忠報国」の四文字を背に刻んで「抗金」をさけんでいたとされる。その墓は杭州西湖のほとり、岳飛廟にある。此処にはまだ鄧小平の改革開放前から、蘇州・杭州めぐり、つまり「中國はじめて」という友人・知人のお供で6回ほど訪問してきた。最近は夜になると岳飛廟のすぐ近くの湖畔で「水上ショー」が開催され、内外の観光客であふれる。

この街ではかつて、あまたの南宋刊本が刊行され、岳飛が死に、南宋も金国もたおれた。そののちにやってきたマルコ・ポーロが、「世界でもっとも美しいまち」と評した西湖のほとり、白楽天築造とされる「白堤」内の小丘で、丁 補之・丁 善之兄弟によって、近代宋朝体活字(はじめ木活字。のち中華書局に譲渡され鋳造活字-中國では仿宋体。わが国には津田三省堂が導入して宋朝体と呼ぶ)が誕生したことは意外に知られていない。それを追ってやつがれがはじめて杭州の地をおとづれたのはもうかれこれ30年余も前のことになる。
その紹介の役割は、できたら辞退したいところであるが、たれも名乗りをあげないまま30余年が経過した。
それよりなにより、これからたれの小説を読めばいいのかというのが喫緊の課題である。

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