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【展覧会 / EVENT】三沢市寺山修司記念館|企画スポット展 70’s イラン革命前夜の蜃気楼 ─ 演劇実験室『天井棧敷』が参加した幻の芸術祭|’26年6月16日-9月23日|開展壹个月

三沢市寺山修司記念館
企画スポット展
70’s イラン革命前夜の蜃気楼
── 演劇実験室『天井棧敷』が参加した幻の芸術祭
会  期  2026年6月16日[火]- 9月23日[日]
開館時間  9:00 - 17:00(入館は16:30まで)
休  館  日  月曜(祝日の場合は翌平日)
入館料金  一般 個人700円 大学生 500円 高校生以下 無料
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
会  場  三沢市寺山修司記念館 エキジビットホール
      〠 033-0022 青森県三沢市大字三沢字淋代平116-2955
      Tel:0176-59-3434  Fax : 0176-59-3440   ▷ アクセス
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三沢市寺山修司記念館は、遺族の寺山修司の母はつ氏より三沢市に寄贈された遺品を、保存公開するために約3年の歳月をかけ建設されました。寺山修司と親しかった粟津潔氏のデザインをもとに、九條今日子氏をはじめとする元天井棧敷のメンバーなど数多くの関係者のアドバイスを得て平成9年 7月に開館を迎えました。
延床面積約833平方メートルの展示棟とホワイエ棟が渡り廊下でつながり、上空から見るとその様はテラヤマ演劇・映画の小道具として登場した「柱時計」を彷彿とさせます。ホワイエ棟外壁には149枚の陶板が貼り込まれ、寺山氏と交流のあった約30人のメッセージ陶板がテラヤマ作品を題材にしたものとともに、にぎやかに彩っています。テラヤマ芸術はもとより、当市の総合芸術発信基地としての一翼も担っています。〔企画展詳細情報待ち〕

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 三沢市寺山修司記念館 ]

【講演会】第27回モリサワ文字文化フォーラム|[個 と 群 と 律]組市松紋の仕組み|6月27日

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【講演会】第27回モリサワ文字文化フォーラム
[個 と 群 と 律] 組市松紋の仕組み
講  演  者  野 老   朝 雄
日  時  2019年6月27日[木]15:00-17:00(14:30開場)
場  所  モリサワ本社  4 F 大会議室(大阪市浪速区敷津東2-6-25)
参  加  費  無  料
定  員  150 名
主  催  株式会社モリサワ
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美術家・野老 朝雄氏は、9. 11 アメリカ同時多発テロに大きなショックを受け、世界の断絶を「つなげたい」という願いからピースマークを考えはじめました。そのマークをつなげることが、現在の紋様制作の出発点になっています。
紋や紋様の平面作品はコンピューターを使って作図していますが、紋様をかたちづくる[個]と[群]は組体操のように一つ一つパーツを置いて描く手法のため、コンパスと定規さえあれば再現可能です。
野老氏の代表作のひとつである「東京2020エンブレム」は、菱形パーツを組み合わせることがベースになっています。今回の講演では「組市松紋」の仕組みを紐解きながら、野老氏の制作の核になっている「律」について語ります。

[ 詳細・申し込み先: 株式会社モリサワ 文字文化フォーラム事務局
[ 参考:活版 à la carte 【字様・紋様】「石畳・霰-あられ」を「 市 松 紋 様 」の名にかえた 歌舞伎役者・佐 野 川 市 松

【字様・紋様】「石畳・霰-あられ」を「 市 松 紋 様 」の名にかえた 歌舞伎役者・佐 野 川 市 松

「石畳・霰-あられ」を「 市 松 紋 様 」の名にかえた
江戸中期の歌舞伎役者・佐 野 川  市 松-さのがわ いちまつ

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日本の紋様〔紋のありさま〕の定番であり、着物や帯だけでなく、千代紙や小物などあらゆるところで目にするものに「市松紋様」がある。おなじみのこの市松紋様、実はさほどふるいものではなく、ひとりの歌舞伎俳優と深い関係があった。

色違いの正方形を、碁盤の目のように組み合わせた紋様が生まれたのは、古墳時代の埴輪の服装や、法隆寺・正倉院の染織品にも見られ、古代より織紋様として存在していた。また公家や武家の礼式・典故・官職などに関する古来のきまり『有職故実-ゆうそくこじつ』では、こうした格子紋様は「石畳・霰-あられ」などと呼ばれ、おもに着物の地紋(織り柄)として使われていたことがわかる。

これが歌舞伎の舞台で鮮やかに観客の前に出現し、一気に注目されることとなったのは、寛保年間(江戸中期 1741-44)のことである。当時の歌舞伎役者が身にまとう紋様は、その役者の感覚や心意気を人〻に伝えるツールであった。
江戸中村座である俳優が「心中万年草-高野山心中」の小姓・粂之助-くめのすけ-に扮した際、白と紺の正方形を交互に配した袴をはいて登場したことからおおいに人気を博した。折しも庶民が紋様を施した着物を楽しむようになった時代でもあり、霰の紋様をあしらった鮮やかな袴は観る人〻の目に衝撃とともに焼きついた。

この衣装を身につけて登場した俳優の名こそ「初代 佐野川市松」であった。ここであまり紹介されてこなかった「初代 佐野川市松」をみてみたい。

佐野川市松(初代 さのがわ-いちまつ 1722-1762)
江戸時代中期の歌舞伎役者。享保7年生まれ。佐野川万菊の門人。若衆方、若女方をかね、荒事にもすぐれた。宝暦12年11月12日死去。41歳。山城(京都府)出身。俳名は盛府。屋号は新万屋・芳屋。

佐野川市松はその後もこの紋様を愛用して、また浮世絵絵士:奥村正信・鳥居清重(1751-77ころ活動 生没年不詳)・石川豊信(1711-85)などがその姿を好んで描いたことから、着物の柄として流行をみた。
市松の愛用したこの紋様は、当初はふるくからの慣わしにしたがって「石畳」と称されたが、のちに「市松紋様」「市松格子」「元禄紋様」などと呼ばれるようになった。
ひとりの歌舞伎役者の美意識によって、古来の呼称「石畳・霰」が、「市松紋様」という名に置きかわったのである。この「佐野川市松」の伝承によって、当時のインパクトがどれほどのものだったのかを偲ぶことができる。

Tokyo_2020_Olympics_logo.svg2020年 夏期オリンピック エンブレム

さらに佐野川市松の時代から175年ほどのち、2020年夏季オリンピック・パラリンピックのエンブレムが若干の紆余曲折をへて決定した。デザインは野老朝雄(ところ-あさお 1969-)で、このデザインは「組市松紋」だと自ら発表している。歌舞伎役者「佐野川市松」好みの紋様が、世界のアスリートが結集する舞台に「組市松紋」として再登場したことになる。

〔参考資料〕
WebSite 歌舞伎美人-かぶきびと-歌舞伎いろは「装い」
WebSite 市松模様 ウィキペディア
「市松模様」『国史大辞典』(吉川弘文館)/「市松模様」『日本史大事典』(平凡社)
「佐野川市松(初代)」『日本人名大辞典』(講談社)