
岡本太郎記念館
佐内正史 雷写
会 期 2026年3月14日[土]- 7月12日[日]
開館時間 10:00 -18:00(最終入館17:30)
休 館 日 火曜日(祝日の場合は開館)、保守点検日。
観覧料金 一 般 ¥650、 小学生 ¥300
* 館内は靴を脱いで上がり、靴は袋に入れて持ち運び。ロッカー無し。
* チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
会 場 岡本太郎記念館
〠 107-0062 東京都港区南青山6-1-19
TEL:03-3406-0801 ▷ アクセス/岡本太郎旧居としての配慮依頼
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❖ TAROを「雷写」する
この人の写真はどこか太郎とおなじ匂いがする。
はじめて佐内正史の作品を見たとき、そう直感しました。むろん“作風”が似ているからではありません。中身になんら共通点はないけれど、画面の“向こう側”に同質のネイチャーが透けて見えるような気がしたからです。
一言でいえば、写真が「文脈」や「物語」から自由であり、それゆえに “お仕事” の匂いがしない。
一般に、写真家の撮る写真にはミッションがあり、テーマがあり、メッセージがあります。撮影対象が人でも風景でもブツ撮りでも、あるいは受注仕事だろうが自主的な“作品づくり”だろうが、この点においては変わりがありません。
商業写真にしろ芸術写真にせよ、主眼はメッセージのデリバリーにあり、作品はいわばヴィークルのようなもの。ゆえに力のある写真ほど暑苦しい。
ところが太郎と佐内さんの写真には、見る者を説き伏せようとの意思がみじんも感じられないし、マーケティングの気配もありません。端的にいえば、「撮った」のではなく「撮れちゃった」ように見える。
おそらく彼らは、「撮ろう」と考えるより先に、五感が「お、いいぞ!」と囁いた瞬間にシャッターを切っている。なにを撮ろうか、どう撮ろうか、なんてことは考えず、対象から放射される “波” を傍受し、直観するだけ。だから文脈や物語とは無縁なのでしょう。
太郎は「芸術なんてなんでもない。道端の石ころとおなじだ」と言いました。たぶん佐内さんも「写真なんてなんでもない。拝まないでくれ」と考えている。
そんな佐内さんにTAROと向き合ってもらいました。
太郎の絶筆『雷人』に眼が釘付けになった彼は、自らの撮影原理を「雷写」と銘打ち、TAROとの対話にのめり込んでいきます。展示作品の過半を撮り下ろしただけでなく、350頁におよぶ同名の写真集を刊行するなど、その熱量は尋常ではありません。時代を超えて対峙するふたりのアーティストの相貌をどうぞご覧ください。
岡本太郎記念館館長 平野暁臣
❖ 雷 写
「あっ」て言って仰け反って、「あーっ」て言って終わる。写真の中の擬態語が聞こえてくる。ピカって光る、ストロボは焚かない。雷人を箱から出した時、アトリエが明るくなった。いつか言った、写真に撮らなくても写真だった。
2025年夏から冬、毎週火曜日岡本太郎記念館で太郎さんが描いた絵の撮影をした。色んな表情のまるいものがいっせいに走ってくる。
雷人を撮っている時に、この撮影の旅は終わると思った。ストロボは焚かないけど、光っている、雷、私は雷人写真人。年末年始に静けさの中プリントができて、気持ちがすっきりした。神社とか墓参りに似ている、目がよくなる、死者と話す、中で少し動いてる、写真の印象、言葉が無いから軽くなる、幾何学に見えてくる、記憶が違う風景、表面に浮かんでる黒、素朴で思いやる、写真からはみ出していく、懐かしい平面。
佐内正史
\ 佐内正史 Masafumi Sanai /
写真家。1997年、写真集『生きている』でデビュー。2003年、写真集『MAP』で第28回木村伊兵衛写真賞を受賞。2008年に独自レーベル「対照」を立ち上げる。2026年3月、最新作『雷写』を刊行、同時に岡本太郎記念館で写真展「雷写」を開催する。近著は『Strong memory』『写真がいってかえってきた』『静岡詩』。主な展覧会に「Strong memory」book obscura(東京、2025年)、「展対照第二部」Vacant(東京、2025年)、「写真がいってかえってきた」book obscura(東京、2024年)、「静岡詩」タカ・イシイギャラリー(東京、2023年)「静岡詩」静岡市美術館(静岡、2023年)、「対照 佐内正史の写真」川崎市岡本太郎美術館(神奈川、2009年)など。
Instagram@sanaimasafumi
✼••┈┈┈┈┈┈••✼ ようこそ爆発空間へ! ✼••┈┈┈┈┈┈••✼
ここ岡本太郎記念館は、1996年、84歳で亡くなるまで、岡本太郎のアトリエ兼住居だった。1954年から40年以上彼が生活した空間である。
絵を描き、原稿を口述し、彫刻と格闘し、人と会い、万国博の太陽の塔をはじめ巨大なモニュメントや壁画など、あらゆる作品の構想を練り、制作した場所。
彼のエネルギーが今も満ち満ちている。
更にいえば、ここは戦前は青山高樹町三番地。
岡本一平・かの子・太郎の一家が永く暮らし、一家でヨーロッパへ旅立ったのもこの地からだ。旧居は戦災で焼失した。
戦後、友人の坂倉準三の設計でアトリエを建てた。
ル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉は太郎の求めに応じ、ブロックを積んだ壁の上に凸レンズ形の屋根をのせてユニークな建物を作った。当時話題をよんだ名建築だ。
岡本太郎の作品は一人の人間の枠を超えて多彩にひろがる。そのすべてがここから閃き出た。膨大なデッサンやエスキース、彫刻、また戦後文化のうねりを伝える資料の山。これから折々に整理して、お目にかけたい。
※ 岡本太郎の旧居です。館内は靴を脱ぎ、靴は袋に入れて持ち運びをお願いします。
※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 岡本太郎記念館 ]
