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【展覧会】アーティゾン美術館|Artizon Museum, Tokyo|瀧口修造 書くことと描くこと|’26年6月23日-10月4日|開展貳个月

アーティゾン美術館|Artizon Museum, Tokyo
瀧口修造 書くことと描くこと
会  期  2026年6月23日[火]- 10月4日[日]
開館時間  10:00 – 18:00 (入館はいずれも閉館の30分前まで)
      * 毎週金曜日は20:00まで
休  館  日  月曜日(7月20日、9月21日は開館)、7月21日、9月24日
会  場  アーティゾン美術館 5・4 階 展示室
      〠 104-0031 東京都中央区京橋1-7-2  ▷ アクセス
同時開催  エットレ・ソットサス —魔法がはじまるとき、デザインは生まれる    
入  館  料  一 般 ウェブ予約 1,200円、窓口販売 1,500 円、
      大学生・専門学校生・高校生 無料 要ウェブ予約(学生証・生徒手帳提示)
      * この料金で同時開催の展覧会を全てご覧いただけます。
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照
主  催  公益財団法人石橋財団 アーティゾン美術館
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アーティゾン美術館は、5・4階展示室にて、「石橋財団コレクション選」として、近代を中心にコレクションを代表する作品を展示するとともに、「瀧口修造 書くことと描くこと」展を開催します。
石橋財団は、昭和期を代表する詩人にして美術批評家、瀧口修造(1903-1979)による作品163点(他の作家との共作含む)を所蔵しています。本展は、収蔵後にこれらの作品の半数余りを一挙に公開する初の機会となります。
1920年代にシュルレアリスムの影響下に自ら詩作を始め、1930年代から戦後にかけて、ポール・セザンヌから同時代に至る美術についての思索と著述を重ねていく瀧口の歩みは、「書く」営みに貫かれたものです。その瀧口が1960年に本格的に試みるようになるのが、自身で「デッサン」と称する造形作品の制作です。「書く」ことを通じて世界と対峙してきた瀧口において、「描く」こととはいかなる行為であったのか。本展は、詩作から美術批評、展覧会の企画や他の作家との交流など、瀧口の活動全体を視野に収めながら、多様な実験的技法による瀧口作品と、パウル・クレーやマルセル・デュシャン、ジョアン・ミロをはじめとする関連作家の作品、あわせて約140点の展観を通して、この問いを再考するものです。

\ 略 歴 瀧口修造(1903-1979) /
富山県に生まれる。1921年に上京。1926年から慶應義塾大学文学部英文科で西脇順三郎に学び、当時最新の芸術動向であったシュルレアリスムに関心を寄せるとともに、自ら詩作を始める。1930年にアンドレ・ブルトン『超現実主義と絵画』を翻訳、刊行。この時期より美術に関心を寄せ、シュルレアリスムの造形活動を中心に論じるようになる。1950年代に入ると、美術時評の執筆に盛んに取り組むようになるほか、読売アンデパンダン展の批評やタケミヤ画廊の展覧会活動の作家選定などを手がけ、日本の同時代美術への関与を深めていく。1958年の第29回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展では、日本館展示のコミッショナーと審査員を務めた。1960年頃から評論の執筆を控えるとともに、ドローイングや水彩などの制作に取り組み始め、同年10月に初個展「私の画帖から」(南天子画廊)を開催。1970年代にかけ、多様な技法や作品の様態を実験的に試みながら、自作の発表を重ねた。1979年に病没。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : アーティゾン美術館  本展スペシャルサイト ] 

【SYMPOSIUM】慶應義塾大学アート・センター|パピエプリエ03:第五の季節 — 瀧口修造とジュアン・ミロ|’25年12⽉6⽇ |終了

慶應義塾大学アート・センター
パピエプリエ03:第五の季節 — 瀧口修造とジュアン・ミロ
日  時  2025年12⽉6⽇[土] 13:00 - 16:00
会  場  慶應義塾大学三田キャンパス 東館6階G-lab( キャンパスマップ ⑬
対  象  どなたでもご覧いただけます
費  用  入場無料
問い合せ  慶應義塾大学アート・センター
      〠 108-8345  東京都港区三田2-15-45 TEL 03-5427-1621
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  ミロよ
  あなたにならって
  蜻蛉の誕生日を祝おう
  この島々の国で
  あなたがもたらした㐧五の季節の
  ある晴れた日に
── 詩:瀧口修造、画:ジョアン・ミロ「ミロよ[…]」1966年[色紙に書かれた 詩「ミロの星とともに」の最終節およびミロのドローイング。この色紙の詩と『ミロの星とともに』に掲載された同節には若干の異同がある。]
詩と絵とはつねに貧しいときのパンと水のようなものでなければならないのである。
── 瀧口修造「ミロと詩画集」『画家の沈黙の部分』みすず書房、1969年、128頁(『コレクション瀧口修造2』みすず書房、1991年、192頁。)

1940年、瀧口修造は世界でもっとも早いジュアン・ミロのモノグラフ『ミロ(西洋美術文庫48)』(アトリヱ社)を上梓した。1958年、瀧口はヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表兼審査員として渡欧し、欧州旅行を行ったが、その際ミロと会うことを望みながらも叶わなかった。ミロへの継続する関心を持ちながら実際2人が出会ったのは1966年の個展にあわせたミロ初来日の際だった。この展覧会を記念して瀧口が書き、朗読された詩が「ミロの星とともに」である。1966年10月4日の日付を持つ、瀧口が詩を書きその周囲を巡るようにミロがドローイングを描いた色紙は、最初の共作詩画と呼べるだろう。ここに書かれた詩は「ミロの星とともに」の最終節である。そこに記された「㐧五の季節」という瀧口の言葉は、四季がめぐる1年の内に胚胎した空白の季節、あるいは過ぎ去ることのない、もうひとつの季節を指しているのかもしれない。太陽と地球の関係によって生まれるのが四季だとしたら、「㐧五の季節」とは「ミロの星とともに」あること、すなわちミロと瀧口の関係によって生まれた季節だと言える。
2人が交わした書簡と2冊の共作詩画集『手づくり諺  ジョアン・ミロに』(1970年)、『ミロの星とともに』(1978年)はその季節の痕跡として私たちに残されている。本シンポジウムでは、往復書簡を読み解き、2冊の共作詩画集へ至るプロセスおよびそこで展開された諸問題について考えたい。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 慶應義塾大学アート・センター ]