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【展覧会】実践女子大紅雪記念資料館|第25回 学祖・下田歌子展|生誕から宮中奉仕、結婚、女子教育の道へ|’26年4月1日-5月29日|

実践女子大紅雪記念資料館
第25回 学祖・下田歌子展
生誕から宮中奉仕、結婚、女子教育の道へ
会  期  2026年4月1日[水]- 5月29日[金]
開館時間  10:30 - 17:00
休  館  日  土・日曜日、5月4日[月]- 5月7日[木]
観  覧  料  無 料
会場案内  実践女子大学香雪記念資料館 企画展示室 1・2
      〠 150-8538 東京都渋谷区東1-1-49
      TEL 03-6450-6805  ▷ アクセス
主   催  実践女子大学香雪記念資料館
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実践女子学園の創設者である下田歌子は、1854(安政元)年に美濃国恵那郡岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村町)の藩士、平尾鍒蔵(じゅうぞう)、妻房(子)との間に長女として生まれ、鉐と名付けられました。生家の平尾氏は岩村藩主松平氏に代々仕え、学問に優れた質実な家柄でした。祖父の東條琴台(とうじょうきんだい)は儒学者として知られ、多くの著述を出版しました。しかし幕末に出版した地図が幕府の禁に触れ、越後高田藩邸に幽閉されました。父の鍒蔵もまた、幕末にあって尊皇を説く学者でしたが、藩内の勢力争いに巻き込まれ、謹慎、役職・家祿の停止など、不遇の時代を過ごします。こうした中で、成長した鉐でしたが、幼いときから和歌や俳句、漢詩、書画に才能を発揮しました。
明治新政府成立によって転機が訪れ、1870(明治3)年、父・鍒蔵が明治政府に出仕することになり、鉐も父の後を追って翌年単身上京し、和歌を加藤千浪、八田知紀に学び、後には八田知紀の高弟・高崎正風の教えを受けました。また祖父の東條琴台からも漢学、古典その他の教えを受けました。
1872(明治5)年、鉐は八田知紀その他多くの人々からの推挙を受けて宮中に出仕し、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)にお仕えします。そして優れた歌才によって、皇后より「歌子」という名を賜りました。
今回は、下田歌子の生誕から宮中奉仕、下田猛雄との結婚、女子教育の道を歩むきっかけとなった桃夭学校関係の資料を、歌子の人格形成に欠くことのできない家族の資料とともに展示します。

※ 実践女子大紅雪記念資料館は博物館登録制度での 指定施設 です( 文化庁 博物館総合サイト
※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。

[ 詳 細 : 実践女子大紅雪記念資料館 ] 

【展覧会】実践女子大紅雪記念資料館|特集展示 下田歌子のあゆみと芸術へのまなざしⅡ|’25年5月1日-6月13日|終了

実践女子大紅雪記念資料館
特集展示 
下田歌子のあゆみと芸術へのまなざしⅡ
会  期  2025年5月1日[木]- 6月13日[金]
開館時間  10:30 - 17:00
休  館  日  土・日曜日、祝日、5月7日[水]、ただし 5月24日[土]は開館。
 入  館 料  無 料
会  場  実践女子大学香雪記念資料館 下田歌子記念室
      〠 150-8538 東京都渋谷区東1-1-49  実践女子大学渋谷キャンパス内
      TEL 03-6450-6805  ▷ アクセス
主  催  実践女子大学香雪記念資料館
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下田歌子記念室では、下田先生ゆかりの品々を展示しています。
木製の机をはじめとして先生が生前使われていたもの、宮中等より拝領した美術工芸品、ご友人、教え子から贈られたもの、あるいは先生ご自身が執筆されたものなどです。
年表と合わせて、明治・大正・昭和の時代に女子教育に捧げられた先生の足跡を辿りながら、その人生に思いをはせつつ、業績を顕彰しています。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 実践女子大紅雪記念資料館 ] 

【展覧会】実践女子大紅雪記念資料館|第24回 学祖・下田歌子展 -愛国婦人会と夜間女学校-|’25年4月1日-4月25日|終了

実践女子大紅雪記念資料館
第24回 学祖・下田歌子展
-愛国婦人会と夜間女学校-
会  期  2025年4月1日[火]- 4月25日[金]
開館時間  10:30 - 17:00
休  館  日  土・日曜日
入  館  料  無 料
会  場  実践女子大学香雪記念資料館 企画展示室 1・2
      〠 150-8538 東京都渋谷区東1-1-49
主  催  実践女子大学香雪記念資料館
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愛国婦人会は、明治34 (1901) 年、奥村五百子(いおこ)の呼びかけにより、政府高官とその夫人などが発起人となり、明治33 (1900) 年の「北清事変」の戦死者の遺族への援助を目的に設立されました。会の趣意書を起草したのが下田歌子です。名誉会員に皇族を迎え、各県に支部を設けたほか、朝鮮本部、台湾支部も設置されました。
下田歌子は、創立当初より評議員を務め、大正9 (1920) 年、67歳のときに第5代会長に就任します。就任後は会の趣旨を広めるため、大正10 (1921) 年より全国で講演会を開催します。8月には、北海道および樺太、10月には京城(ソウル)、奉天、大連にも足をのばし、講演は30数回を数えました。翌年には、関東、九州地区を中心に講演50回に及び、昭和元(1926)年末には、会員数が39万余名も増加しました。また婦人職業相談所(紹介所)、授産所の開設(仕事の斡旋)、夜間女学校の開設、大正12(1923)年の関東大震災後には、罹災者救済の恒久施設を被害の甚だしかった本所に開設しました。この「隣保館」には、婦人宿泊施設、職業紹介所、託児所、児童図書館などが設置されていました。関東大震災では、衣類・夜具の不足を補うため、市民に配布した衣類だけでも200万点に達したといわれ、実践女学校の生徒もこの衣服作製に協力しました。
本展では下田が晩年まで力を注いだ社会事業と女子教育について紹介します。

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