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【展覧会】東京シティビュー|手塚治虫「火の鳥」展|-火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命(コスモゾーン)の象徴-|’25年3月7日-5月25日|終了

東京シティビュー
手塚治虫「火の鳥」展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命(コスモゾーン)の象徴-
会  期  2025年3月7日[金]- 5月25日[日]
開館時間  10:00 - 22:00(最終入館 21:00)
会場案内  東京シティビュー(六本木ヒルズ森タワー52階)
      〠 106-5552 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52階
      電 話 03-6406-6652(東京シティビュー) ▷ アクセス
料  金  当日券[平日]
      一般2,300円、高校・大学生1,700円、4歳-中学生800円、65歳以上2,000円
      * 事前予約制(日時指定券)を導入。チケットの詳細・購入は こちら
      * チケット各種・割引・優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
企画監修  福岡伸一
企画協力  手塚プロダクション、朝日出版社
後  援  J-WAVE、WOWOW
主  催  東京シティビュー
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  ☆ Art 瓦版 掲載図版のほとんどは図版をクリック or タップすると拡大表示されます ☆

マンガの神様・手塚治虫の最高傑作『火の鳥』
 初の大型展覧会を開催

東京シティビューでは、2025年3月7日[金]- 5月25日[日]まで、手塚治虫「火の鳥」展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡(どうてきへいこう)=宇宙生命(コスモゾーン)の象徴-を開催いたします。
数々の名作を生みだした手塚治虫が、みずからのライフワークと宣言したマンガ『火の鳥』は、その血を飲んだものは永遠の命を得るという伝説の鳥 “火の鳥” を追い求める人々の葛藤を描く一大傑作長編です。過去と未来を交互に描きながら、「生と死」「輪廻転生」といった哲学的なテーマを縦横無尽に表現した本作の壮大な世界観は、今もなお人々の心をとらえてやみません。
本展は、30年以上の長きにわたって執筆された壮大な叙事詩を、雑誌「COM」からはじまった「黎明編」から「太陽編」までの主要12編を中心に読み解きます。
『火の鳥』の連載開始から70年が経過した今、生物学者・福岡伸一氏を道先案内人として、新たな生命論の視点から『火の鳥』の物語構造を読み解き、手塚治虫が生涯をかけて表現し続けた「生命とは何か」という問いの答えを探求します。

手塚治虫「火の鳥」展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命(コスモゾーン)の象徴-

手塚治虫プロフィール
本名・手塚治。1928年、大阪府豊中市生まれ、宝塚市で育つ。大阪大学附属医学専門部卒業。医学博士。
1946年に17歳で四コママンガ『マアチャンの日記帳』にてデビュー。翌年、単行本『新寳島』が大ヒットとなり、以来、日本のストーリーマンガの確立に尽くす。
また、1961年、アニメスタジオ「虫プロダクション」を設立。1963年、国産初の本格的なテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の放送を成功させ、アニメ界にも大きな業績を残す。代表作に『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『火の鳥』『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』等がある。1989年死去。
公式サイト:https://tezukaosamu.net

企画監修:福岡伸一 生物学者が読み解く、手塚治虫の生命哲学とは
『火の鳥』のテーマは「生きること、死ぬことの意味は何か」。人間にとって最も深遠な問いです。全編にわたって不死鳥 “火の鳥” が登場し、生に執着する人間を翻弄しながら物語を動かします。そこでは、あらゆる生命が常に姿と形を変えながら、連綿と受け継がれていく輪廻転生の生命観、汎神論的な世界観が示されます。これは、生命が絶えず自らの破壊と創造を繰り返しながら、エントロピー増大の法則に抗い続けている「動的平衡」であるとする私の生命論とぴたりと重なります。本展の狙いは、動的平衡の視点から『火の鳥』の意味を読み解くことにあります。そして、手塚治虫が描くことを約束しながら果たせなかった物語の結末を想像してみたいと思います。

福岡伸一プロフィール
生物学者・作家。1959年東京生まれ。京都大学卒および同大学院博士課程修了。ハーバード大学研修員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員教授。サントリー学芸賞を受賞し、90万部のロングセラーとなった『生物と無生物のあいだ』、『動的平衡』シリーズなど、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。大阪・関西万博(EXPO2025)のテーマ事業パビリオン「いのち動的平衡館」プロデューサー。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 東京シティビュー

【展覧会 予告】萩博物館|明治維新150年記念特別展 第 1 弾|手塚治虫が描いた明治維新|9月15日-10月14日

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明治維新150年記念 特別展 第 1 弾  終了企画

手塚治虫が描いた明治維新
開催期間  2018年9月15日[土]-10月14日[日] 会期中無休
開館時間  午前9:00-午後5:00   * 入館は午後4:30まで
観  覧  料  大人510円、高校・大学生310円、小・中学生100円
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深海魚ファンでの大盛況の「萩博物館夏期特別展 深海魚大行進」(9月2日まで開催)。その萩博物館が、次回展の予告をアップ。
なんと「明治維新150年記念特別展 第 1 弾 手塚治虫が描いた明治維新」とあった。

手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治-読み同じ、1928-1989)は、日本の漫画家、アニメーター、アニメーション監督。 大阪帝国大学附属医学専門部を卒業、医師免許取得、のち医学博士(奈良県立医科大学・1961年)。戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画の草分け存在として活躍した。兵庫県宝塚市出身(出生は 大阪府豊能郡豊中町、現在の豊中市)。

この手塚治虫の曾祖父にあたる人物に、幕末から明治初期に活躍した西洋医学者:手塚良仙がいた。[『日本人名大辞典』講談社]から紹介する。

【手塚良仙 てづか-りょうせん 1801−1877】
幕末-明治時代の医師。
享和元年生まれ。手塚治虫の曾祖父。大坂の適塾でまなび、安政5年「江戸お玉ケ池種痘所」設立に協力。文久3年歩兵屯所医師。
明治10年陸軍軍医として西南戦争に従軍。赤痢にかかり同年10月10日死去。77歳。
その生涯は手塚治虫によって「陽だまりの樹」にえがかれた。江戸出身。

20180811201014_00001 20180811202300_00003 20180811202300_00001『陽だまりの樹』全7巻 著者:手塚治虫 1988-1989年 小学館

最終巻の第7巻のカバー写真は、刊記に「カバー写真提供:手塚治虫(手塚良仙肖像画)」とある。
またその対抗ページの最終コマには以下のようにしるされている(手塚良仙の生没年には若干疑問がのこる。萩博物館の研究を待ちたい)。
「その年〔明治10年〕、手塚良仙は九州の地で赤痢に罹り、大坂の病院へ送られて死んだ。行年五十一歳であった。私、手塚治虫は彼の三代目の子孫にあたる」
DSCN2784-768x1024江戸・東京 活版さるく 訪問先
27 お玉ヶ池種痘所 跡
所  在  地  千代田区岩本町2丁目 (もと勘定奉行川路聖謨旧私邸内)
標  示  物  「お玉ヶ池と種痘所跡」標柱(東京大学医学部建立)、記念プレート、解説板
概  要  安政5(1858)年5月に江戸の蘭方医83人が出資して、神田お玉が池に「種痘所」を設置した。この土地はのちに累進して幕府勘定奉行筆頭となった川路聖謨(かわじ としあきら 1801―68)が、かつて所有していた私有地を提供したと伝えられている。
しかしこの地での「種痘所」は、同年11月、開設からわずか半年にして火災により類焼したため、大槻俊斎(おおつき しゅんさい 1806―58)と、伊東玄朴(いとう げんぼく 1801―71)の家を臨時の種痘所とし、その後神田和泉町へ移った。→ ●43、●42
[参考: 活版アラカルト〔イベント〕メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-06 <江戸・東京 活版さるく>訪問地:お玉が池種痘所

手塚治虫『陽だまりの樹』は、<江戸・東京 活版さるく>でも話題となり、「活版カレッジ」修了生のあいだで広く読みつづけられている。そして<江戸・東京 活版さるく>の報告が、近〻印刷物となってまとめられる段階まで進行している。

萩博物館は、「日本工学の父:山尾庸三展」、「日本鉄道の父:井上 勝展」のころから熱く注目してきた博物館である。こんどは手塚治虫をつうじてどんな切り口で維新史を綴ってくれるのか、おおいに期待して見守っていきたい。

【詳細: 萩博物館